とある少女の恋
ここあこころ
1.歯車
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
世界の歯車は回り始めます
リスのように愛らしい歯車も
高層ビルのように偉そうな歯車も
すべらかな音や
鈍臭みのある音やを立てて
次第に
ゆっくりと回り始めます
世界の歯車は回り始めます
2.夕焼け
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
夕焼けはいつにも増して赤く染まります
あからさまに赤く染まるのです
とある少女のように
隠したいことを隠し通せないのは
恥ずかしがり屋 夕焼けの特権でしょうか
特権は振りかざされるべきではなく
命を植えつけられた他の生き物のために
分け与えられるべきです
オレンジ色の微笑みで
命を抱き締めるように
3.通学路
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
薄紫に委ねられた夜は
ランドセルの香りを通学路へ漂わせます
泥だらけの汗と不器用な涙
きらめく星々の香りです
感じるものによっては
あたたかなホットミルクの香りでもあります
甘く懐かしい 優しい香りです
通学路に刻み込まれた数多くの足跡は語ります
誰かが未来に書き残すであろう
何ら特別ではない幸せの童話を
幸せの童話は 将来 絵本となり
無名の出版社から出版されます
幸せの童話が再び開かれることになるのは
少女を含めた今を生きるものたちが
そのままの姿で
大きくなった そのとき だけに限られています
失われるべきは
今でも 過去でも 未来でもありません
4.さようならの歌 1
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
カラスはさようならの歌を歌います
聴いたことがありますか
さようならの歌は
遥か昔の 郷愁を呼び覚ますような
どことなく哀しい歌です
泣き虫の鈴の音です
通学路の耳はその歌が気に入っています
しかし 雑木林の介はあまり好もしく思っていません
雑木林の介はいつも痛く嘆いています
こんな風に
別れの後に何かが訪れるならさ
それは出会いに違いないんだろうけど
万物のすべてはさ
最後を別れで締めくくらなくちゃいけない
そのときは必ず訪れるのに
これから嫌というほど経験することになるのに
何も今から歌わなくてもさ
いいだろうに
俺はそれが悲しいんだ
地球がそっけなく海に抱かれるくらい
俺はそれが悲しいんだ
5.さようならの歌 2
ここだけの秘密ですが
*
老いた屋根も カラスの歌うさようなら歌が好きです
誰にも言ったことはないようですね
カラスも 梟も 鼬でさえも知りません
内緒ですよ
彼の名誉ためにも
誰しも気持ちを公言するには
いたいけな花の勇気が必要です
花の勇気は平等に分け与えられていますが
誰しもが花の勇気の在り処を
探り当てているわけではありません
別々の場所に隠されているためです
つまりは
誰しも立派に振舞える
なんてことはないのです
全く落ち込む必要はありません
みんな みんなそれでいいのです
本当は分かり切っていましたね
個々は別々の歌を歌っています
ただ一つ 覚えていて欲しいのです
これは砂場の婆ちゃんの口癖です
好きなものを正しく好きといえるのはね
子どもにとってはね
大人に近づくための硝子の靴になるんだよ
大人にとってはね
子どもであり続けるための唯一の魔法なんだよ
忘れちゃいけないんだ
頭の片隅でいいから
大事に飾っておかなくちゃいけない
いいかい
分かったかい
6.蛙
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
蛙は寝床に帰ります
規則正しく夜が訪れるのは
誰のおかげでもありません
しかし
規則正しく夜が訪れることを
素直に喜んでくれるのは
蛙くらいのものでしょう
7.田んぼ
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
田んぼはあられもない姿を
月の光の下でだけ晒します
田んぼのあられもない姿は
干飯を入念に味わい尽くすような
深みのある 艶を夜に行き渡らせます
ランドセルは当分の間
それらの情事には気付かないことでしょう
でも 焦る必要はありません
いずれ
向こうからやって来てくれますから
8.とある少女
とある少女が恋をしました
とある少女が恋をしますと
*
人々は灯り始める灯に
明日の光を重ねます
あくまでも弱々しい涙の中でだけ
灯が震えているように見えるのは
幻ではありません
寂しいからではありません
眩しいからです
どこまでも
明日が
肝心の少女はと言うと
夕焼けの頬ぺったにキスをして
スキップで家に帰る頃です
胸はいっぱいに膨らんでいます
ランラン ルンルン
そうして 家に帰って来るや否や
胸に秘めた手帳を開きます
少女だけが知る秘密の手帳です
そこに
明日の朝焼けを描きます
好きな人の名前を記します
丁寧に 一文字 一文字