子供だろうが大人だろうがそれが持つ意味はわりと同じことだ
ホロウ・シカエルボク





 無論、俺はそんなものにイエスと言うつもりなどない、それは例えばお前が周到な手段を用いて懐柔しようと目論んだところで同じことさ、並べ上げただけの言葉は不快感すらもよおす、だけど俺は並べ上げるただそれだけのことが何よりも好きなのさ―朝食のハムエッグを二人分作って自分の前に並べた、朝早い太陽の光を浴びてそいつらの油がギラギラと輝き―それで俺はなんだか戦いに向かう兵士のような勇敢な気分になったのさ
 無論、俺はそんなものにイエスと言うつもりなどない、俺がイエスと言うときは本当の本心から本気で何もかもを受け入れるとき、それだけの関係が保てないなら関わるすべてのものがノーで構わない、両手にフォークを持ってハムエッグを二人のように食べた、無論、そこには俺一人しか居なかったのだ、非常にシンプルに混沌としていてその現象は奇妙な感じに俺を高揚させた、人間ってのは毎日に煮詰まるととんでもなく面白いことをし始めるものさ、笑い話に出来る勇敢さがきっと死から詩人を救うんだぜ
 無論、それは誰かに披露するための愚行ではなかった、俺が本気でそんなことに取り組んでいるのを誰かに見られたなら俺はその場でメンタル・クリニックへ向かうタクシーに押し込まれるだろう…俺は誰かの為に狂っているのではない、俺は初めからいつだって俺だけの為にとことん狂ってきたのだ、つまりそこにはきちんとした理性による操作があるってことさ、狂いながら調整する―そんな風に言うと本当は狂っていないみたいに聞こえるか?だけどそれが俺たちの最も望ましい狂い方だと俺は思っているんだ、つまり、バランスを取ることが出来なければ――理性も狂気も決して報われることなんかない、報われないということは深化しないということだ、深化しないということは、何度描いても同じ絵ばかり生まれてくるってことに他ならない
 無論、俺にだってそういうことは多々ある、これだって多分いつかに同じことについて書き連ねたことの中に書いてあったものの焼き直しみたいなもんだ、だけど、題材というのは繰り返されるものだぜ、持てる題材の数は限られているんだ、もちろん、それでも両手に余る以上のものぐらいは心は所有することが出来るけれど―あらゆる煩わしさからスピードを持って脱却を図ろうとするとき、その時チョイスされる言葉はいずれにしろ決まってくる―手癖や、逡巡に見えるけれど決してまったく同じではない何か―それはもとより繰り返されるために生まれてくるものだから、それはもとより何度もそうと知るために蓄積の中から拾い上げられるものだから―俺は行き先を知っている列車に乗り込んで遠隔操作で線路を切り替えようとしているのさ、同じものに乗って違う路線に乗り込む手段を模索しているんだ、相互理解よりも選ばなければならないプロセスというのは確かに存在する…俺はプロセスを理解するのは得意なんだ、それは結果を求めることにまるで興味がないからさ
 無論、それは自己満足であり誰かに差し出してみせた時全くそこに何の意味も見いだせない代物かもしれない、けれどもあらゆるすべての生まれおちてきたものに対してただ一つ断言出来ることがあるとすればそれは、誰かのものだけで終わるものなど万にひとつもないということさ…人ごみで小石を投げれば誰かがそれを気にするものだ―自分で決めるのは愚かなことだぜ、自分で決めるのは愚かなことだ、どんなものでも飽きるまで並べて吐き出してみることだ、俺は両手に持ったフォークでハムエッグを食いつくす、食い損ねた卵が食卓に散らばり、唇の周りは油にまみれている…それは確かに俺の個人的な余興に過ぎないぜ、だけど俺の油にまみれた唇を見てちょっとイカしてるって思うやつだってもしかしたら居るかもしれないだろう、いやたぶん…そういうやつは絶対に必ずいるものなのさ、そして俺のやることをこっそり眺めているんだ
 無論、俺はそういう時に俺のことをクリニックへ叩きこみたがるやつばかりが並んでいたところで一向に頓着しない、それもまた一つの傾向であり―イズムのようなものなのだろうから…ただ、誰かをネタに使わなきゃいけない主張というのはみすぼらしいものだなと、そう、思うだけさ―俺のハムエッグの食い方が汚いと言うのなら、俺がそれに手をつける前にひとこと囁くのがマナーというものだ、だけどそんなこと不可能だろう?現実として俺は一人でそれをやり遂げたのだから―行為の前に誰かが介入出来た可能性は万にひとつもないのさ、だったら、油にまみれた唇を見てひとつの感想を持つことの方がはるかに建設的だ
 無論、それは俺がこのダラダラと書き連ねたものをひとつの出来上がりとして差し出した時に限られるのさ、俺自身にも大して意味など分からないこの戯言が誰かにとってなんらかの意味を持つのかどうか非常に興味深いね―ちょいと奥さま旦那さま、ひとつ覗いちゃみねえかい、お遊びってのは多少汚れるとしたものだ…

 俺はすべてを終えた後で珈琲を一杯飲みそそくさと布団にもぐりこんだ、知ってるかい、無駄な遊びの後には


 脳みそがリラックスして、なかなかに安らかな眠りを提供してくれるのさ…






自由詩 子供だろうが大人だろうがそれが持つ意味はわりと同じことだ Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-12-04 00:46:40
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