ファミリー・コンピュータ
小川 葉

 
だって
家族はコンピュータだから
のひとことで
だれもが無口になった
そのことが不思議でしょうがない
子供が欲しがるものといえば
ファミリー・コンピュータ

わたしたちは家族です
それはすなわち
ファミリー・コンピュータ
で遊ぶ子供のために
子供のためのように家族というシステムにおいて
システムは守らなければならないと
過去から言われてるものだから
ばかなやつら

家族から
もっとも遠いところで
たくさんのエクスペリエンスを体験し
遭遇しながらそこにはない
家族みんなで遊んでほしいという願いを込められたとは
知らないけれども
やはり知ってほしいから名付けられた
わたしやきみの名前がある

どうしてここにいるの?
と考えてみるけれど
どうしてもここにいなければならないとも
同時に考えていたりする
ぼくらの木星の岸辺には
いつも現実のようなゲームソフトが配布され
やがてそれを買う金もないというありさま

ああ神様
そうして僕らは相談しました
神様は神様のことを知ってますかと
はなっから神様を
神様と思ってないくらい
コンピュータであるがゆえに僕らは家族だし
ファミリーだった

どうしますか
それで
わたしたちやっぱり
ファミリーと
コンピュータのあいだには
ナカグロは残しておきますか?

残しておきましょうと
言ったひとは
生まれて死に
その途中に僕らは生きているのだから
やっぱりナカグロは消せない
消せないものは
存在するしかないので
ファミリー
ナカグロ
コンピュータ
と声に出して発声した場合
なぜだかなつかしい
匂いがする
それを言葉にあらわせない理由は
おそらくナカグロのあたりに詩の領域が
不足してるからではないかと
さっき自作の詩を読み聞かせてみたら
鼻で笑われてしまった自称詩人が
ファミリーとコンピュータの狭間でゆれながら
あしたはどっちなのかもうわからないので
ジョーに聞くけれど
同情するなら金をくれというはずのその台詞は
今では少し違ってしまっていた
そのことがまだ
ジョーにはわからないのだと言う
 


自由詩 ファミリー・コンピュータ Copyright 小川 葉 2008-12-03 02:06:16
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