02:両腕に
chick

 仕事帰り、会社近くの喫茶店で待ち合わせをして彩夏の部屋に行った。
 今俺が穿いているジャージは、持ち帰るのが面倒でずっと彩夏の部屋に置いておいたものだ。放置していたつもりだったのだがちゃんと洗濯されていたらしい。どことなくやわらかくていい匂いがする。そういう点で彩夏はいい女だと思う。
「何考えてんの」
 そう言って腕の中に滑り込んでくる彩夏はすっかりすっぴんだ。いまさらそんなことを気にする間柄でもないが。
「何も」
 彼女を腕の中に収めながら浮気相手のことを考えてた、なんて言って平然といられる女はまずいないと思う。俺が浮気をしているなんて夢にも思っていないだろう。
「彩夏って猫っぽいよな」
「えー」
 ちょっと複雑そうな声色で、それでも嬉しそうな顔で彩夏は言葉と共に首に腕を絡ませた。
 彩夏と久美―浮気相手の娘は相反する猫だと思っている。彩夏は飼い猫で久美は野良猫。一方は飼い主に可愛がられて、愛されることを知っていて、甘え上手で人当たりのいい猫。もう一方は気まぐれで、一人でいても誰かといてもしっくりするような、それでも不器用な猫。
「きっと俺、猫が好きなんだと思う」
 そう言うと彩夏はますます満足そうに頬をすり寄せてくる。もしこれが久美だったら―こんなセリフは言ったことはないけれど―きっとむずがゆそうに腕の中でもがくのだろう。
 だけど俺は知っている。久美が社内でときどき寂しそうな目をすることを。野良猫は誰かに拾ってもらえれば飼い猫になることができる。そう知っていながら拾わない俺は果たしてずるいのだろうか。
「そう言えば今度久美ちゃんとあさぎちゃんでホテルのビュッフェ行くんだって、いいなー」
 彩夏が羨ましそうに言うのは、ビュッフェに連れて行けということではない。飼い猫は、野良猫同士が路地裏にたまって楽しそうにしているのを、部屋の窓から見下ろすしかないのだ。彩夏はそれをよく知っている。
「一緒に行ってくれば」
「えー、なんか盗み聞きして乱入したみたいで嫌だなー」
 ただ、ぽっかりと寂しいだけなのだ。
 そして彩夏はきっと知っている。飼い主に手放された飼い猫は、野良猫にさえなれないということも。


散文(批評随筆小説等) 02:両腕に Copyright chick 2008-11-27 15:53:24
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朝日のあたる猫