回雪の彼方
木屋 亞万
肩甲骨を背中で閉じて胸を大きく開いたら
幸せな蒸気を肋骨の間に詰め込んで
淋しさが背中に滴る前に
あの人の元へ急がなくては
走る背中を丸めたら翼が広がってしまうので
人ごみでは邪魔になる
仕方なく駅前ターミナルから羽ばたく
羽の根元に力を入れて
背中が裂けそうなくらい
筋肉を弾ませて離陸
浮上したときについつい胸が開いてしまって
奇跡を詰め込んだ贈り物は
街に回雪として降って消える
幸せの情熱はもう南の方へ走り出している
今更戻っても追いつけないだろう
かといって人の蒸気を奪い取るほど
悪くなることなんてできはしない
もう幸せは取り戻せない
足の裏から少しずつ冷たさは忍び寄り
四肢の感覚は拠点から奪われていく
足は付け根から丸ごと凍り
二本の氷柱のように伸びきっている
羽根も硝子細工のように固定され
想いの詰まった頭の先から真っ逆さまに落ちていく
灰色の海はトプンと僕を丸呑みしゴミだらけの砂浜に吐き出す
鼻の穴から突き上げてくる海水が目に沁みて涙が出てくる
足に絡みついた海草の束が寄せては返す波に遊ばれている
震える頬を引き締めて這うように砂浜を進んでいく
どこに向かうつもりなのか自分でもわかりはしない
胸の前に砂の山ができては左右に押されて分かれていく
自分の進んできた後ろには不細工な道ができているのだろう
すぐに風と波に消されてしまうとしても道ができるのだ
胸の中をざらつかせる悩みに比べれば
砂の方が触れられるだけ可愛げがあるように思えた
あの人が偶然に近くを通らないだろうかとか
自分を探してやって来てくれないだろうかなんて
甘く温い考えに元気よく背中を押されて
ますます砂の中に沈み込むようにして進んでいく
頭を占拠していく希望願望の類が
少しずつ夢の気配を帯びていき
気がつけば砂の中で眠っていた
風が砂の布団をかけてくれたので
吹きさらしのときよりも温かく
砂と海水に麻痺していた呼吸器は
虫の息を途絶えさせようとしていた
夢の中で自分は両脇を天使に抱えられ
いつか見た犬と少年のように
天に召されていくところだった
灰色の海を背に明るいネオンの街を抜け
電飾が華やかな塔の周りをゆっくりと旋回し
雲を越えて天へと昇っていく
右脇の天使と左脇の天使が会話を始める
「幸せを届けることができなかったみたいだね」
「途中で零してしまったらしいよ」
「残念だったねえ、もうひと頑張りで結ばれたのに」
「ああ、幸せを見つけられたのに、もったいないよ」
「また一からやり直しだ」
「この子はこれで四回目だね」
「早く天使になれるといいね」
「そうだね、今度は頑張って」という声を最後に
両脇を支える天使の手の力がわずかに緩まり
落下する直前の浮遊感を味わう
その刹那、両脇を激しく抱え上げられる
急上昇すると同時に鮮烈な光が両目を襲う
大きな手が背中を叩き、僕に罰を与える
自分が情けなくて悔しくて思い切り泣き叫んだ
温かいお湯につけられ、身体を柔らかいもので拭かれる
「元気な男の子ですよ」と白い服の女性が笑う
汗をかきながら安堵したように微笑む母親の側へ運ばれ
僕は五度目の誕生を経験した
空気は肺を乾かしたけれど、身体は湿ったまま
温かすぎる部屋の空気を受けて
どうしても泣き止むことができなかった