彼奴とガリンシャ
松本 卓也
ここに詩人を名乗る者が居るとしよう
いや、言葉により自らを詩人と定義してなくとも
心中において自ら詩人たりえると自覚している者が居るとしよう
彼奴が自ら詩人足りえるためにとる手段といえば
一つに自己以外の自称詩人達を篭絡する美しく軽々しい言葉を操り
一つに詩論として偏った死生観宗教観人生論政治思想を弄ぶ
何一つ反映される事のない磨きあがった水鏡には
現実泡沫にありえない完成された妄想が綴られ
誰しもの享楽的な失禁の如き賞賛を浴びせている先で
彼奴は自らの詩風に恍惚を覚えているのだ
昔、ガリンシャと呼ばれたブラジルのサッカープレイヤーが居た
小児麻痺をわずらい左右の脚が3cmも違っていたという
さらには若干の知的障害さえ負っていた
一九六二年ワールドカップで、あのペレを失ったブラジルを
ワールドカップに導いた不世出のドリブラーだ
そんな彼も、一九八三年にビール瓶を抱えたまま野垂れ死んだ
私はガリンシャの生き様こそ詩人であったと思う
彼奴は閉鎖された世界で現実味の希薄な歌を囀っているが
ガリンシャは誰にとっても平面な世界を斜めに傾かせながら
思うがままのフェイントで屈強なディフェンダーをかわしつつ
一度は世界の頂点に立ち、そのままの勢いで転がり落ちた
ガリンシャの死に様に比べれば
彼奴の現状などガリンシャが子供の頃撃ち殺していた
小さなミソサザイにすら及ばない
ちっぽけであるのに真実でさえありえない
もしガリンシャが彼奴をジャングルで見かけたら
靴下を丸めたボールでフリーキックの的にでもするだろう