書簡−瞳の道筋−
構造

ウォーレス・カロザースがナイロンの合成に成功したのは
すくなくとも1935年のことです。彼がうつうつとした体を引きずりながら
デュポン社の研究所にたどりつき、ぶつぶつと誰にも聞こえないような
独り言を言いながら研究服に着替え、その延長でこの高分子体を発明したときに
大声でエウレカ、と叫びながら、己の成果を全世界に訴えかけるような
アルキメデスのような開放と官能はありませんでした。むしろため息をついて
じろりと、いくつも纏まれば、すくなくとも理論上はこの地球をしばりつけて
ふりまわすこともできるような細く透明な光沢をながめていたのです。

そこでたとえば"美しい”という感動的な、しかしきわめて単純かつ愚鈍な感慨に浸る
精神をもつことができれば、のちのちの悲劇は避けえたかもしれないというのが
多くの伝記作家が記すところです。しかし彼の目はこのほそながく鉄より固い
蜘蛛の糸がじつは、鎖のように、分子たちがえんえんと手をつなぎあっているという
状態であるということをしずかに眼鏡越しに想像していたのだといいます。

この後はいくつかの仮定によって展開していかなければいけません
ひとつは霊というのがひとつの情動や感情の集合体であり、
もうひとつはナイロン発表の二年前に自殺したかれの亡霊が、フィラデルフィアの
ホテルの階段を下りて来るときに、生前からそのまま保存された陰気な
表情をうかべながら、眼鏡越しにすべてを分析するかの瞳をいまだもちあわせている
ということ。そのときに感情の複合体が電子レベルの条件反射の律動によって
展開されているところまで見て、かれのひとりごとはより速くなることでしょう
そして誰にもききとれないような口調で口汚く、この擬似生命について語りだすに
きまっているのです。カイガラムシの群体が、赤を形成しているようなものだ、と


散文(批評随筆小説等) 書簡−瞳の道筋− Copyright 構造 2008-11-14 12:17:18
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