「 蛇。 」
PULL.







 わたしは夜、蛇になって男の躯にもぐり込みたいと願うことがある。わたしは細くしなやかな蛇になり、わたしよりもごつごつとした男の肛門を掻き分けにゅるにゅるとからだをくねらせもぐり込み、この肌の鱗で、ざらざらと腸を擦り粘膜を剥ぎ胃から食道へと抜け男を、突き破るのだ。

 この男はいつもわたしのからだにもぐり込むことを得意としている。そしてざらさらとしたわたしからだの中の様子を、事細かにわたしに話して聞かせるのも得意だ、だからきっとわたしもこの男に、この男の躯の中の様子を事細かに話して聞かせうんざりとさせるのだろう、いや、ひよっとすると男の躯の中の方が居心地が良くなってわたしは出てこなくなるかもしれない、そうしたらこの男はどうするだろうか?内蔵の中でざらざらと動くわたしを宿したままいつもの仕事をし、普段通りの生活を続けるのだろうか?結婚もしていない男の躯の中に宿ってしまったわたしを、果たして母は許してくれるだろうか?また男は自らの躯の中に棲み着いてしまった女を、愛してくれるのだろうか?もし男が他の女と浮気をすればわたしは、男の射精と共に排出されてしまわないだろうか?そうしたらわたしはその女の子宮の中で、宿るのだろうか?やがて生まれてくるだろうわたしはその女とこの男を母と父と、呼ぶのだろうか?そもそもわたしは夜、蛇になれるのだろうか?。

 からだの中は夜だ。わたしのからだの中に太陽はなく、月に一度赤くなる月しかない、男の躯の中のことはまだ知らない、わたしはまだ蛇になったことはなく、もちろんどの男の躯にもぐり込んだこともない、わたしは父も知らない、確かに父の躯の中に宿り排出されたわたしであるはずなのに、わたしにその記憶はない、幼い頃父のことをしつこく訊くわたしに母はただ一言、冷たいひとだったと、言ったのだった、以来わたしの中の父は冷たいひとになった、冷たい、この男の冷たい躯は父を想わせる、わたしは二つに裂けた舌を這わせ男を奮い立たせようとする、男の肌は青く氷のように冷たい、わたしの舌が男の太陽の皺をちろちろと舐める、男が冷たく奮い立つ、なめらかにもぐり込んだ男がわたしの中の月を突き上げる、やがて冷たいものがわたしの中で弾ける、なまあたたかいものが月に、かかる。

 男が来るのはいつも夜だがここの外が本当に夜なのかわたしには解らない。男はわたしをここから出そうとしないのでわたしはわたしのからだに訊いてみるしかないがわたしのからだの中はいつも夜なのでやはりわたしは解らないでも、男の来ない間は昼で男が来るのは夜だと思うことにしている、何故なら男は必ず夕食を持って現れるからだ、夕食は男の食べるものと同じなのでわたしにはいつも少し物足りないがそれを男に言ったことはない、男は傷付きやすい存在で父もそうだったと母が言ったからだ、わたしは母のようにはなりたくなかった、母のようになることはわたしが蛇になれないということだった、蛇になれなかった母は父の体の中に宿ることもできず棲むことも叶わなかった、わたしは母のようになりたくない、わたしは母になりたくない、母になりたくないわたしは男に囚われここにいる、だからここにいるわたしは母ではありえなかったがそれでも時折、男が何故わたしを外に出そうとしないのかと思うこともある、男はわたしを恥じているのだろうか?母になれないわたしを男は、恥じて隠しているのだろうか?ならばわたしも隠さなければならない夜が、男が来る前に。

 この頃は昼も、鱗が生えるようになった。わたしは包丁の背で、魚でするように腕の鱗をこそぎ落とす、ざりざりと鱗が浴室のタイルの上に落ちる、わたしは一枚を摘み電球に透かす、鱗の向こうで眩しく、歪んだ電球が眼球のようにぶら下がってわたしを見ている、大きな、ぐろぐろとした眩しい眼、細長い瞳孔がきゅっと縮まる、見られている、わたしは恐くなり眼をつむりきつく、さっきよりも強い力で包丁の背でからだの鱗をこそぎ落とすざりざりと、鱗が残酷な音を立てて落ちる、次に眼を開けたわたしには鱗ひとつなく、眼球は電球に戻り、つるりとした肌が待っている、わたしは念入りに鱗を拾い集め浴室の排水溝に一枚また一枚と落とす、排水溝は音もなく飲み込みわたしの鱗を吐き出さない、だけどわたしはそれでは安心できなくて排水溝に詰まった髪を溶かす薬品をさらに流し込む、こんなものでわたしの鱗が溶けてしまうのかどうかわたしには解らない、とにかくわたしは安心したかった、一秒でも早くわたしの鱗とあのぐろぐろとした眼のことを忘れて溶かしてしまいたかった、排水溝の向こうからつんとするものが立ち上がる、鼻の奥が痛くなった、なまぐさいものがわたしの胸を通り過ぎた、ざらざらと喉の奥で擦れ溶けてゆく鱗の感触がした、わたしは酸っぱいものが込み上げる口を押さえ逃げるように浴室を出た、鱗の落ちた裸足から伝わる冷たいタイルの感覚が、夕べの男の躯を想い出させた。

 眼が醒めると男の胃の中にいる。長いわたしの尻尾はまだ男の腸の中にいて引き抜くと、腸の粘膜が剥がれる感触がした、上の方で男の呻く声がして胃が揺れる、少し男が気の毒になったが毎晩わたしのからだの中の粘膜をさんざん引っ掻き回しもぐり込む男のことを考えると、それも当然の報いのような気になった、尻尾の先で胃壁を突くとさらに激しく男の躯の中が揺れた、胃の内容物が降りかかるどろどろと、夕食の肉じゃがのじゃがいもの横で見覚えある鱗が一枚、溶けていた。












           了。



自由詩 「 蛇。 」 Copyright PULL. 2008-11-14 09:34:00
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