それも、冷たい風が吹く日だった。故郷の駅に降りる。駅には誰もいない。紅葉が始まった山。駅前には農協の建物がある。それ以外、店らしいものはなかった。肩にかけた旅行カバンを下ろした。すぐに、と責める声がする。けれど、すぐに歩き始めることは出来なかった。アスファルトの道には、轍があった。凸凹の道にはひび割れた箇所もある。置き去りにされた場所だった。農協のカーテンは閉まっていた。休みなのだろうか。早々に閉じてしまったのだろうか。建物に人の気配は感じられなかった。中学校舎、小学校舎が並んで建てられている。共同のグラウンド。中学校の体育館から声が聞こえた。部活の練習だろう。全校生徒60人程度の中学校。そこへ通う生徒たち。駅から見える田は、すでに刈り取られた後だった。中学生の声以外、何もなかった。風が吹く。よそ者を疎外するように。すぐに、と責める。何を見つければよいのだろう。何一つとして見つけることは出来なかった。
laver氏の「月」(
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=167675&from=listbyname.php%3Fencnm%3Dlaver)。「井戸」は外とを隔てる。外との接触を断つ。「他人」を探す視線。ここがどこであるかを知るために。月を見つける。月の光が「井戸」へ落ちてくる。それを、知る。それを、見る。「井戸」は世界から疎外する。けれど、何も見つけられないわけではなかった。視線は月を見つける。月に触れる。侵入する。「他人」と「自分」の境界は曖昧になる。
故郷を離れてから10年ほど経った。当時のように感じることは出来ない。目に映るものは「他人」だった。「他人」でしかなかった。そして、「他人」に触れることが出来なかった。接点は失われてしまった。見えない「井戸」を感じた。風が吹く。馬鹿にする。「ああ、おまへはなにをして来たのだ」と。故郷の駅の底で月の光を探す。「他人」と触れようと。見上げる。やがて、陽が落ちた。夜がやってくる。月が煌々と輝く。月の光を見る。触れる。「他人」との接触。月の光はいつでもよそ者だった。太陽の光を反射する月。月光を浴びる。駅から歩き出す。ゆっくりと。冷たい風が吹いている。夜は故郷の景色を包み隠した。景色の輪郭は失われる。「他人」へと侵入していく。ゆっくりと。すぐに、ではなく。
月の光に触れる。「他人」との接触。侵入。光が侵入してくる。光に侵入していく。視ているだけではない。触れていた。境界線は断たれる。しかし「他人」と「自分」の区別は明瞭だった。月の光が太陽の光であると同様に。ただ、その光が太陽の光だとわかってもなお、月光と呼ぶように。「井戸」を越える。触れる。
ああ、おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
中原中也 「帰郷」
その日、風は責め続けた。月の光を手がかりに、故郷を歩き続けた。あれほど瑞々しかった田も、今は乾いている。用水路の水が音を立てて流れる。しゃがみこむ。用水路に手を入れる。冷たかった。凍えきった体が硬直する。「おまへは何をして来たのだ」と風が言う。だが、しゃがみこんで俯いたままではなかった。夜、空には月があった。月の光は家族までの帰路を照らしていた。民家が1、2軒しかない、一本道を。
その時、誰のためでもなく、誰かのために月はあった。