あたりまえのこと。
きゃっとむーん大葉
朝は、
最寄りの駅まで走るための時間ではなく
ラジオから流れる落語の人情噺を聴きながら
渋い野菜茶をゆっくりと喉に通過させる。
そんな涙を流すための「ひととき」でありたい。
ぜいたくぜいたく。
昼は、
厭なことから逃れるために成人映画館へ逃げ込む時間ではなく
裏若者通りで野良のくせに愛されることを知っている動物の
お腹を思う存分なでながら手のひらを温める。
そんな笑みを浮かべるための「ひととき」でありたい。
ぜいたくぜいたく。
夕は、
感情を麻痺させながら内輪を罵倒する時間ではなく
釦を押すしかやりようが無い玩具の穴を覗きながら
あきらかに残すことの出来ない風景を切り取る。
そんな涙を流しながら笑みを浮かべるための「無意味なひととき」でありたい。
容赦なく一瞬は走り去り
背伸びをして筋肉を伸ばすことも困難になる。
無理無理無理無理。
そうしているうちに知識情報世間体に侵され
脳の中身は、誰かの頭。
流す涙も、浮かべる笑みも。
そうか。
「ぜいたく」は、別に「ぜいたく」な訳ではなかったのか。
もうすぐ夜が終わって朝が始まる。