ある日のサイクリングから
寺岡純広

 サイクリングを兼ねて大垣から垂井まで歴史散策をした。垂井は隣町のことなので、自転車で1時足らずで、町の中心地までたどり着ける。サイクリングの最終目的地は、竹中氏の陣屋跡だ。
 大垣と垂井では、景色が大きく違ってくる。大垣は濃尾平野の中にあり、岐阜県にあっては中核都市の一つだが、垂井は伊吹山脈と濃尾平野の境にあり、迫る山並みと田園風景は戦国時代の風景を想像できる。中でも小さな山が幾重にも重なり、そこに霞がかかった様子は絵のように美しく、そこに武将を思い描くと歴史小説の世界に入っていく。

 竹中氏は関ヶ原から垂井辺りの村落貴族で、豊臣秀吉の参謀、軍師であった半兵衛重治が名高い。その子の重門は関ケ原の戦いで徳川家康の東軍につき、戦後戦場の掃除(戦死者、遺体の埋葬、弔い)を命じられた。
 竹中氏の陣屋跡はたいしたものではない。門と石垣のほんの一部を復元しただけだ。歴史好きの私にとってより重要なのは、先に少し述べたように関ケ原の戦いに関連した地理的な位置なのだ。
 陣屋跡の南には狭い平地を挟んで南宮山が広がる。ここは、西軍の毛利や長宗我部などの大軍が布陣したところで、その多くは日和見を決め込んだ。激戦を山から見下ろし、将士たちはどんな心持ちだったろうか。

 歴史散策で現地に行ってみると、小説をより楽しめる。関ケ原に両軍が着陣するまで、どのような経過を辿ったか、より深く理解できる。 一方、小説では気付かなかった新たな発見もある。例えば、関ヶ原に移動する前、石田三成ら西軍の主力は大垣城にあったが、徳川家康率いる東軍はその北方わずか離れた地点から大垣城を無視し、一挙に中山道を通り、三成の居城である佐和山城滋賀県彦根市)を衝く勢いを示した。 そこで大垣城の西軍は夜、関ケ原に移動を開始する。このあたりの両軍の行軍の様子が、今回の大垣から垂井までのサイクリングで映画のシーンのように思い浮かべることができた。

 折しもサイクリングをした時期は10月22日で約400年前関ケ原の戦いの同時期にあたる。
 今日も私は部屋から伊吹山脈、関ケ原方面を眺めている。今度は関ケ原の決戦場跡、更に伊吹山の山頂まで足を伸ばしてみたい。山頂から晴れた日に眺める濃尾平野、琵琶湖はどんなにすばらしいことか。そこからまた新たな歴史散策を開始し、新たな発見をしていきたい。もっとも山頂までのサイクリングは無理だろうが…




散文(批評随筆小説等) ある日のサイクリングから Copyright 寺岡純広 2008-10-25 23:14:59
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