木屋 亞万

必ず
二人同時に好きになる
胸がときめく
最大人数は二人で
最小人数も二人で
どちらがより好みか
考えているうちに醒めてしまう
おいおい
どっちでもいいじゃないか
脈がありそうな方にいってしまえ
と無責任な内なる自分はへらへらしているけれど
どちらも脈がなさそうで
枯れ川なのか、臨終なのか
まあ何にせよ
脈の取り方もわからんのです

少し距離を置いて
燈籠のような存在感でもって
さりげなく様子を窺ってみるのだけれど
燈籠がカフェテラスにあると不自然なように
自分も自分の庭から出ないまま
カフェテラスというのはどこのお寺ですか
なんて自問不答しているうちに
季節は巡り
愛すべき二人の異性は他の原子と結合して
クォーク、クォークと鶏みたいに
口づけしておる訳でして
燈籠は自発的に破れたり、敗れたりで
鹿威しにびくびくしているのです

好き好きと蝉のように泣くこともできないので
蛍のようにジリジリ光ろうと思うのですが
身は焦がれるものの煙しか出ない
胸は熱いけれど光エネルギーはなく
熱エネルギーの塊
言葉を変えれば熱い恋なのだけれど
熱しやすく冷めたのいつだっけ状態で
気がつけばトイレットペーパーと
ティッシュペーパーに欲情している始末
鼻セレブ愛好会に属し
華麗かつ上品な鼻のかみ方を学び
鼻が痛くならないトイペー鼻かみ講座も
さりげなく受講している優柔不断っぷり

雪が降ってきて
赤と緑が町に溢れるのだけれど
赤と緑どちらが見えやすいか答えられないまま
眼科医助手さんに両方ですと答えてしまう
女医先生も看護師さんも両方好きですと
いつか聞かれたら答えようと思うのに
今日も何も聞かれずに病院を出てしまう
コンビニの前ではケーキとターキーを売っていて
トナカイもサンタもありだなと思いながら
鳥とケーキをセット買いして
どの選択肢もくだらないと思う

自分が生まれる前に
赤児と緑児のどちらかなりたい方を
選んでいたとしても
それが最初で最後の選択だ
しかしそれすらどうでもいい
桃子と緑のどちらを好きかなんて論外
どうでもいい
選択なんて、できない
どっちも素晴らしいし、どっちも届かない
採れない葡萄を見上げて
俺は左だ、なんて言いたくはない
どっちも酸っぱいに決まっているとも言いたくない
どちらも甘そうだと言いながら
どちらかを決められないでいて
あの葡萄は本当に生きていて
実在している葡萄なのだろうか
なんてよくわからない問いを発している方がいい

そうやって下で待っている間に
ひと粒でも落ちてこないかと
待っている
例えば、おはようの一言でも
燈籠が原子核を爆発させてしまうくらいの
熱エネルギーになる
洟垂れ坊主を卒業できる日を夢見て
カフェ寺スはどこの宗派だろうと
想像してみる
除夜の鐘が聞こえる
108は2で割れる


自由詩Copyright 木屋 亞万 2008-10-23 01:07:28
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