青を、青を、「青を泳ぐ。」
Rin.




 「キレイだよ、誰よりも。」


 鞍馬口駅のトイレでそっとつぶやく。髪を直して、グロスを塗って。そうして見つめる鏡越しの自分に向かって言っているものだから、他人が聞いたら「アホちゃうか。」みたいなものである。もっとも言っている本人も歯が浮くどころか全部飛んでいきそうで気持ち悪い。それでも。自分の言葉をここで確かめると、緊張とともに懐かしさが込み上げてきて心地よい。2005年12月30日。中学校の同窓会の日であった。

     *

 あのころは自分にそう言い聞かせなければ生きていられなかった。誰よりも、いや、少なくとも、彼女たちよりはキレイだと。
 中学3年生。始業式の朝まで、私は間違いなく確信していた。普通にこの駅を通って、普通に友達と校門をくぐって、普通に授業をうけて、やっぱり数学は苦手で、普通に寄り道をして、買い食いもして、そしてまた普通の明日が訪れることを。
 駅の改札を出て、「田中歯科医院 出口2番より徒歩1分」の広告を背にして立つ。だいたいこういう広告に「徒歩1分」と書いてあっても、本当に1分でたどり着けるためしはない。その日の朝も、相変わらず他愛のないことを考えていたように思う。私はいつも、ここで反対方向から来る電車に乗ってくる幼馴染のミカを待った。あるいはミカがここで私を待っていた。これが「普通の朝」だった。
 しかしその日、ミカと駅で出会うことはなかった。当時はまだ、「国民一人当たり平均1携帯電話」のような時代でもなかったので、私は待つより他はなかった。次の電車が来て、人がどわっと吐き出されてくる。だがそこにも、ミカを見つけることはできなかった。これ以上待つと、私が遅刻をしてしまう。今日は風邪でもひいたかな。地下道を抜ける。まだまだ空は夏服だ。私は一人で学校に急いだ。

 上履きの薄い底に響く緑の廊下の冷たさに、いかにも「新学期の朝」を感じながら、3組の扉を開く。新学期、一番困るのは「座席の位置を忘れてしまっていること」だ。つい先月までいたはずなのに・・・毎度のことなので自分でもおかしくなってしまう。
 きっと、ここ。
私が向かった窓側の、前から2番目の席。そこに、ミカがいた。ミカが。びっくりして、首を前に突き出したハトのようになっている(だろう)私の右側を、ミカは何も言わずに通過した。そこに漂う異様な空気に、本当はそのときに気付くべきだったのかも知れない。

 教室じゅうに目配せが飛ぶ。仲良しグループの、フーコからミカ、ミカからナナ、ナナからエリコ・・・まるでバレーボールの練習をする、あの円陣の真ん中にいるようだ。パスが、こない。そんな感じ。ふとそこに、女子独特のいやな匂いがした。始業のチャイムが鳴った。私が何か変わったのだろうか。髪は切ったけれど、そのくらいしか思いつかない。少しの違和感をごまかすように、ま新しいノートに名前を入れた。
 昼休みになった。先月までそうしていたように、弁当を下げてなんとなくミカたちのいる「いつもの場所」に行った。昼食は先月までそうだったように、机を動かして、なんとなく始まった。しかしそこに、私が入れるスペースはなかったのだ。ここまできてやっと、私は朝ミカがいなかった理由、視線のパス、自分の置かれている状況がわかった。3年3組。―――変化したのは、私じゃない―――

 その日から私は青に溺れはじめた。たとえようのない青黒い水が、最初は上履きを濡らす程度に、次の日は足首まで、そして膝。日ごとにかさを増してくる。一週間もした時には、青はすっかり背丈を越えて、もう3組という水槽の中では呼吸すらままならなくなっていた。

     *

 あのころは息継ぎに必死で、言葉なんぞを使おうとするなら、ただむせ返るだけだったから、そんな自分を表現しようなどとはとても思えなかった。思えたとしても、もう体中が青に絡めとられていて、できるはずもなかった

     *

 同窓会の会場は理科室だ。3組の担任が理科の教師だったから、それだけの理由である。なんでも卒業式の日に埋めたタイムカプセルを開けるのが、今日のメインイベントだとか。そのようなものを埋めた事実は覚えているが、埋めたものなんてすっかり忘れていた。前日にメールで話していたミカが、CDを埋めただの未来の自分への手紙には何を書いただのとはしゃいでいたが、私ときたらいっこうに思い出せない。昔からの自慢で、記憶力だけはバツグンにいい。それなのにいくら頭をひねっても無理なのである。これが衰えると、何も自慢することがなくなってしまうではないか。
 午前中に用があった私は、ミカとは現地で落ち合うことにしていた、しかし思ったよりも早く駅に着いたので、少しくらいはちゃんとしたナリで行くか、と、トイレで鏡を見た。緊張していた。ミカ以外、3組の面々とは卒業以来会っていない。



《 朝は笑って家を出る。「どうせ一人で食べるんだから、お弁当なんていらないよ。」そんなこと、母に言えるわけがない。駅に着く頃には笑顔の作り方を忘れている。きっと、怖い顔。こんな顔じゃ、学校なんて行けない。そう思うたびに私はこのトイレの鏡を見た。

大丈夫、キレイだよ、誰よりも。堂々と、しなよ。

必ずそうつぶやいて、私はグロスをつけた。こうすると、少しマトモな顔になる気がした。》




 理科室に着いた。先生は当時より少しだけデコが拡張して、顔も雰囲気も丸くなって見えた、私が頭を下げると、なんだか「安心した」みたいな笑みを返してくれたから、少しくすっと肩をすくめる。



《 「私、毎日手帳で卒業までに日数を数えているんです。」
 3年生の1月になって、ようやく私は学校で口を開いた。溺れても溺れても、生命力だけはあったようで、理科室の窓枠にやっとの思いでしがみついたのだ。助けてほしかった。ただ、その一心で。
 「みんな、卒業が寂しくて、あと何日かを数えています。でも私は嬉しいんです。楽しみなんです。もうここに来なくてよくなるから。でも、それって、イヤ・・・。悲しすぎる・・・。」
言うなり嗚咽がとまらなくなって、先生にすごく悪いことをしたと思う。先生はただ黙って、泣かせてくれた。和私だって、私だって・・・そんな思いが次から次へと水滴になって流れるばかりであった。》
 


 いよいよタイムカプセルの蓋が開けられるときだ。昔のように先生が、一人ずつの名前を呼んでくれて、私たちは物体Xを恐る恐る受け取った。透明の袋の中には、通知簿・子どものころの写真などが入っていた。蝉の死骸なんかを入れていた人もいて、なんだか価値ある剥製のように思えた。それに比べるとなんと平凡なものを入れたことか。これでは思い出せなくて当然である。当時話したことすらなかった男子生徒と、
「蝉だ〜!」
「キャア〜!!」
そんな言葉を交わして、私は時の力を思い知った。袋のなかには全員共通の封筒が入っていた。
「開けてみろ、覚えているか?」
先生が机に腰掛けてにやにやしている。みんなで一斉に開けると、あちこちから歓声があがった。写真だった。それぞれが、それぞれの思い出の場所で先生に映してもらった写真。添えられた便箋には、それぞれの、そこでの思い出が綴られていた。サッカーゴールの前で撮った人、「将来ここに立ちます!」と書いた黒板を背に映っている人・・・みんな思い思いに見せ合いをしている。私は、空けた瞬間愕然とした。背景は雪一色。どこで撮ったのかさえわからない。そして、便箋は白紙だった。
「ねえ、どんな思い出?」
フーコが何の気なしに覗き込んできた。
「あ・・・」
私は答えられなかった。それをちらっと見たミカが言った。
「雪が、あまりにきれいだったんだよね。」
私のほか、唯一彼女だけが、白の理由を察したのだ。
 私は笑ってうなずいた。
「そう、その白さは白紙で表現するしかなかったんだよ。」
 違う。全部違う。未来の自分に思い出して欲しいものなんて、ここにはない。そんな小さな主張だった。どちらのしても、忘れられないことには変わりはないのに。でも、ミカの一言で救われた気がした。引き潮のように青が、遠のいていくのを感じた。今なら、書ける。青に溺れていた日々を。あのときはただ苦しくて、それだけだった、青。まるで表現されるべき時を待っていたように、今度は手の中の白紙を染めてゆく―――

     *
 
 そのときから私はあの青を歌おうとしてきた。作品として形にするために、一番大切なものは「表現したいこと」である。しかしそれは、そうそう身近に転がっているものでもなくて、忘れたころにいきなり「オレを表現してくれ!」と出てきたりもする。これだ!と思った題材を、逃さずキャッチできれば、作品の半分は決まったといっても過言ではなかろう。「あの青を」。私はなんとしても書きたかった。タイムカプセルから出てきた写真のような、そんな作品を。誰のためでもなく、青に溺れて、それでも泳ぎきった自分のために。


  「出席簿のマス目は斜線で黒くなる卒業までの手帳のように」

  先生の顔が浮かぶ。クラスメイトには「怖い」とか「口が悪い」とか、色々言われていたようだけれど、あのとき先生に話せたから、私は青に溺れなかった。


 「一応3組。だから切り分けられたコマ文集なかば白紙の主張」

  思い出したいようなことなんて何もなかった。でも、だから私がいる。
 
 
 「本好きの名札は存在証明書。休み時間を生き抜くための」
 
 どんなことがあっても、学校だけは休まなかった。皆勤賞が欲しかったから、ではない。休むことは、負けることだと思っていたのだ。狭い机だけが浮島だ。私は平然とした顔を装って、そこでじっと本を読み続けた。いや、字面を眺めていた。内容などはどうでもよかった。朝、適当に持ってきた本が「銭型平次捕物帖」だったりして、教室で密かにびっくりしたこともある。彼女たちに陰で観察されているようで、そういうときはコッソリカバーを裏向けて文字を追った。
 卒業文集のクラス紹介欄。文集委員なるものが、クラスのメンバー紹介を書くのだが、私だけを飛ばすわけにもいかなかったのだろう。私の名前の下には「文学少女」とだけ書かれていた。それが幼馴染のミカの字だっただけにショックが大きかった。文学少女。たった4文字で片付けられたページ。


 「理科室に夢実験で放火する友情ごっこをあぶる瞬間」

 私がいま、このガスバーナーで教室に火を放ったら、彼女たちはどうなるのだろう。炎につつまれて、それでも互いをかばい、助けある。そんな壊れない友情を彼女たちが持っているというのなら、私はこの「立場を甘んじて受け入れよう。あり得はしないだろう。もちろんバーナーを倒す勇気などはなかったけれど。
 

  「マスカラを拭き取る指でごめんねのメールにまでもメイクする人」

  卒業式の日に、ミカが手紙をくれた。かわいい色のサインペンで書かれた反省文と、花やハートのシールに、なんだかすごく「ミカだな。」と感じた。もちろんココロには響かなかったし、すぐに捨てた。でも、この手紙依頼、私はミカがいっそう好きになった。


 「保健室の南の窓からだけ見える三時間目の海が好きです」

年末くらいから、お弁当を保健の先生と食べるようになった。こっそり早弁をしていた。昼休みになると、他の生徒が保健室に来るかもしれない。私はその時間はカーテンに隠れて童話を読んだ。「みにくいアヒルの子」。いつか私も、白鳥になる。一瞬でもそう考えられるこの場所が大好きだった。


  「制服のリボンの両端わざと引く。さよなら誰よりキレイなワタシ」

  誰よりキレイなワタシ。思い出の場所は鞍馬口駅のトイレだったのかもしれない。先生をそこまで連れて行って、写真を撮ってほしかった。いや、ミカやフーコのように、そんなことを冗談っぽく言える私だったら、また違った日々がそこにあっただろうか。


「砂時計の檻ただ待つことの怖さよ膝の下から満ちくる青を」

 青、青・・・。「たしかに溺れていた」あのころを、思い出すたびまた飲み込まれそうで、何度も書くことをやめたくなった。書くことどころか、
「人間やめたいよお・・・。」
なんて突発的に言い出したりして、随分周りに「ドン引き」されたものだ。それほどまでに、時を経て「表現してくれ!」と現れたものを描くことは、身を切るような作業だった。
 これまで私は「短歌は感覚で書ける。」と思っていた。適当に言葉をつなげたら、それなりの短歌になると。現にそうやって歌ってきた。しかし、作品のために自分の内面と真っ向からむき合ったとき、そこから流れてくるものがあまりに多すぎて、感覚だけでは31文字におさまらないことに、いまさらのように気付かされた。以前「えいやあ!」のノリで30首でも50首でもドンと来い!だったはずが、、まとまった形の作品に仕上げるのに1年半もかかったのだから大笑いである。
 完成した30首の連作は、ふと募集を目にした「短歌研究新人賞」に応募してみた。これまでとは違う書き方になった30首。ある意味では「処女作」ともいうべきかもしれない。こういうものへの初めての応募にしては、思いがけない結果が出た。もちろん賞はとっていない。でもこの連作に関して言えば、すごく満足のいく結果であったと言える。だが、これほどまでの思いをしなければ、伝わる作品にならないのかとも実感した。できることならもう二度とやりたくない(笑)
 連作のタイトルは「青を泳ぐ。」だ。「青に溺れる。」のほうが当時の私には合うのであろうが、溺れても泳ごうともがくことが生き抜くことだ。「青を泳ぐ。」この作品をもって私は、本当にあの日々から、卒業する―――



「さよならはシンメトリーな水彩画せいいっぱいの卒業をする」




2008・10・22
風渚 凛




※掲載した短歌は「第51回短歌研究新人賞」に応募した、既発表・自作のものです。応募名とハンドルネームは異なります。 





散文(批評随筆小説等) 青を、青を、「青を泳ぐ。」 Copyright Rin. 2008-10-22 00:09:15
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