夜、
ベッドの床のドアを開け
誰もいない真夜中のモールへ向かう
不ぞろいな石畳のゆるい坂道
狭い道の両側に並ぶ石造りの建物
ショーウインドウに灯りが燈る
探せ、
歩け、
山高帽子の男を探せ
いつものゲームだ
見つければ男が鍵をくれる
(いったいどれだけ時間があるかさっぱり分からない)
帰る扉が開く
夜霧に濡れた石畳を踏みながら
いつものように
(いったいほんとうに帰りたいのかさっぱりわからない)
焦りながら探し回る
山高帽子の男だ 顔ににやにや笑いをへばりつかせた
いつもの 背の高い男だ
探せ
歩け
探せ
走れ
走れ、走れ、走れ、間に合わないぞ
走れ、走るんだ
息は切らさないで走る ここは夜だから
だが焦りは昼と同質だ
休むな 走れ
黒い山高帽子には幅のやけに広い白シルクの帯が巻いてある
夜の中であの白は
いつも いつも 目立つんだ
走れ
白いテーブルに端に座っている
長いテーブルの上にあるのは
12本のろうそくが立った古い燭台
固そうなパン
切れ味のいいナイフと
固そうなチーズのかたまり
水のはいったグラス
あのパンとチーズを食べてはいけない
けっして食べてはいけない
いつものように
山高帽子の男を見つけ出す
1980年代はまだバブルが残っていて、
ガクセイだった私はバックパックを担いでさまよった。
音楽家の生家を追って訪れたヨーロッパの城砦の街は小さかった。
数時間もあれば一回りできてしまうほどに小さかった。
朝食のパンはほっぺたが落ちるほど美味く、
財布が千切れるほど高価で、市場のりんごは小さく甘い。
ロートアイアンの小さな看板も、光あふれた出窓のショーウインドウも
あの時見たままの姿で夜の彷徨に現れる。
小僧がベットの床を抜けていく
ああ、あいつも行くところがあるのだと
うつらうつら気がついた
がちゃっと音を立てて閉まる扉に
言い様のない恐怖を感じる
あいつは帰ってくるだろうか?
ああ、
そうか
これが人生というわけだ