感覚器倒錯的迷走期
木屋 亞万

朝、ドアを開け部屋を出たら
うなじの気配がした、かなり巨大なうなじだった
嗅覚の部署が暴走し、象一頭分くらいのうなじを髣髴とさせた

左脳が「オーデコロンに浸けすぎた女性が通った後の残り香である」と判断した
すぐに「それにしては残り香が残り過ぎだが」という嗅覚の反駁にあい
やけくそになった左脳は「変な男がシャンプーのボトルの中身でも撒き散らしたのだろう」
という結論を出したが、脳内会議で納得する部署は現れなかった
花弁を搾り取ったような香料の匂いだろうという意見が会議の主流であった

階段を降り、道に出て、河原に沿って歩く
うなじ臭が強くなる、妙に艶っぽい、湿度がそれを助長する
「象二頭はいったな」と嗅覚は判断した、かなりの大物である
左足を5回前に出したくらいのところで
河原にコンクリートの壁によじ登るように、白い象が二頭並んで立っていた
視覚が嗅覚にアッパーを食らわすと、嗅覚による幻覚が消え、一本の大きな金木犀が現れた
蛍光橙の花をつけ、河にしなだれるように生えている



昼、街を歩く
左脳が金木犀の匂いにまだ反応している
「大変だ、我々は完全に包囲されている」とか言う
金木犀の香りが左脳により幻覚化され、糸煙のように絡み合いながら漂っている
よく見ると細長くなった「丸裸」「全裸」「うなじ」が道行く人に巻きついている
という聴覚の悪戯
秋物のコートを着た大人しそうな女性に「全裸」が袈裟懸けされている

妙に興奮してきた、審美部署まで喜んでこの企画に乗っかり
「丸裸」をサングラスのようにかけている女子大生
「うなじ」の巻きついたタバコを吸うおっさんを見つけた
散歩する犬の背中には「白い象」が垂れ下がっていた
景色の中を漢字になった金木犀の匂いが漂う
金木犀に浸(水、いや浸)字した街、脳内は(そもそも議題がない)会議そっちのけで盛り上がる
真面目部署は妙な罪悪感と背徳感に駆られながら、少し快感を覚えた



夜、左脳の文字暴走は終焉し
排泄部署が台頭し始めた、電柱よりも多く便器が街に乱立した
この世はまさに便器ジャングルとばかりに白い陶器が夜の闇に浮かび上がる
男用排泄衛生陶器の排水部分に置かれる球型芳香剤の香りが足掛かりになっているのだろう
足早に帰路につく自転車や単車がいくつも便器につっこんでいく様が潔い
そのうち彼らがサドルにまたがっているのか
便器にまたがっているのかもわからなくなくなってきた
まあかっこつけて座っていても所詮座っているものがかっこ良かったってだけなのだ

家の近くまで来て再びあの河原の前を通ると、象がいなくなっていた
文字化することもなく、便器化することもなく、平然と咲いていた
蛍光橙の花は夜道の電灯とは相性が良くないようだった
一日に渡る脳内部署サミット祭りもようやく終わりを告げたようだ
目を閉じて大きく深呼吸をすると、身体中に香りが行き渡る
目を開くと白濁の月が倒れてくる
それは月ではなく、月並みなうなじ
特大うなじが降ってきた
ようやく主役が現れた
世界の倒れる音がして、秋


自由詩 感覚器倒錯的迷走期 Copyright 木屋 亞万 2008-10-07 02:41:52
notebook Home