詩の批評ってやっぱり難しい【批評とは何か大会参加作品】
北村 守通

ボクは釣りが好きです。
特にルアーやフライなんかの擬餌を使った釣りが好きです。
でもあんまり釣れないものですから、自分の腕を棚にあげて、市販品を信用しなくなり、そうした擬餌を自分で作っていたりします。竿だって組み立てたりもします。だから余計に釣れないんですが。

 さて

 こうした釣りの世界というものも、実は大変狭い世界だったりしまして、雑誌やなんかでそれぞれの釣り方を伝授なさっている『神さま!』と崇めたくなるような方々とお知り合いになることは意外と簡単なことだったりします。(つまり、その『神さま』達がでーんと鎮座して後光を放たれておりますお店なり、ボートハウスなりに足繁く通って顔を覚えてもらえばよいのですから。勿論、こまめな投資は必要です。)
 そんな『神さま』と釣りのお話ができるようになったりしますと、自分の作った道具を持って行ってアドバイスを受けたり、更に幸運な時には『神さま』の釣りに同行させて頂いて、自分の釣り方の問題点や、状況に応じたアプローチの選択の考え方のイロハについて教えてもらったりできたりします。投げることだけの練習会なんてのもあったりしますよ。所謂、『ワークショップ』は釣りの世界にだってあるんです。
恥ずかしいですよ。自分ですらわかる下手具合。常連さん達の美しい軌跡と比べてもそりゃぁもう・・・

 いかんいかん、また話が逸れてしまった。

 再び、さて

 自作のルアーを持っていったとしましょうか・・・
 『神さま』はまぁ、最初一通り眺めて塗装面等の技術についてアドバイスをくださいます。そして次に「どういうコンセプトで作ったの」「どういう状況で使うことを想定しているの」ということを聞いてから、実際の泳ぎのチェックに入ります。そのチェックを自分の目で確かめてからそのルアーだったらどんな使い方をしたら生きてくるのか、あるいは作者のコンセプトを重視するのならばどういった点を改良していくべきなのか、といったことについてアドバイスをくださいます。(勿論、何故そうなのか、というメカニズムの説明も決して忘れません。)
 結局、自分の思い描いたコンセプトを自分の手で具現化できているか、ということをまず見てきまして、次にそのコンセプトの有効性について見直すわけなんです。
 確かに、コンセプトのない創作物というものはないわけで、ルアーでも親切なメーカーはパッケージの裏に有効な使い方について説明してくれていたりします。でも、そんなのがない商品とかになってきますと、まず「コンセプト」はなんだ?ということを考えなきゃぁいけないんですね。自分で創ったものならいざ知らず、他人様の作ったものだなんてそりゃぁなかなか見抜けません。勿論、よく釣って結果を残している人の中にはなかなか鋭い眼力を養われている方もいらっしゃいます。

 ルアーならば手に取れます。触れます。使えます。結果があります。
 しかし、それでも果たしてその使い方が本当にその特性を生かしきれているか、というとクエスチョンがつくわけで、後から別の有効な使い方が発見された、だなんてこともざらにあります。
 増してや、詩です。文章です。手に取れません。更に言葉と言葉の間の穴がてんこ盛りで、自分の都合のよいように穴と穴とを配線していきますから、その配線パターンを考えたら幾つもの視点の切り替えが必要です。自分の思考回路と合わなくて、その配線をつなぐことさえできなかったらお手上げです。また、実はその「コンセプト」自体が自分とシンクロできるものでなかったとしたら、これまたたぶんお手上げです。

 何をもって評価の基準としたらいいのかわかりません。

 読解力の不足だよ、それもまた経験だよ、と言われてしまえばそれまでなんですが。
 ですので、肝っ玉の小さい私としては(人前で何か自分でする、ということについては毛が生えていますが)批評でなく、感想をつける際も「私自身にとっては」というニュアンスの言葉を入れておいて、私の読み方が作者のあずかり知らぬところでありましてお気に召さなければすっ飛ばして下さい、という願いをかけながらコメント欄に書き込んでいます。
 だからこそ、そうした個性の壁を越えて自分の作品なりにコメントなんか入れて頂いたりしますと、とっても嬉しいんですね。どんな評価でも、形としていただける、ということはその人の心の何かに触れた、ということであって、スルーされることよりずっと大切な出会いなんだなぁ、と思ったりもしています。(でも、返事を書くのが悪いような気がして<読み手の想像する世界を破壊してしまいそうで>返事書かずにいたりして、それはそれで失礼なことをしているなぁ・・・と反省しているんですが)

 ただ

 もしかすると、この「コンセプト」という奴ですが、作者自身に朗読させてみると分かりやすくなるのかもしれません。その作品に対して作者自身の二次的創造をさせてみると作品の動きが掴みやすくなって、テキスト上だけではわからなかった作者のコンセプトが見やすくなるのかも知れません。
 今のPCの技術は凄いです。ネットで送信できるデータもボクが学生の頃なんかからすると考えられません。もしかすると今後、テキストと一緒に朗読データを再生する、それを聴いてから批評なり、感想なりを入れる、といった形式が一つの投稿ジャンルとして成長していくのかもしれませんね。
 ことはそう単純ではないのでしょうが。


最後に
人柄って、文章から確信するものはあるかもしれませんが、断定するだけの確証はないんじゃないかな?って思います。だから、文字だけで判断するとめちゃくちゃへこむ様な口調なり、内容なりで批評されることがあったとしても、相手がちょっとこちらに笑いかけながら肩を叩きながらその言葉をかけてくれているんだ、っていう状況に勝手に批評を受け取る側でで想像転換!してしまえば・・・どんなもんでしょう?


ああ、なんだかやっぱり批評って考えれば考えるだけ難しい・・・分かってないこと多すぎて、文章の内容もたぶん支離滅裂で、捉えるべきポイントに対してあさっての方向を向いている様な気もしますが、お付き合いいただきましてありがとうございました。


散文(批評随筆小説等) 詩の批評ってやっぱり難しい【批評とは何か大会参加作品】 Copyright 北村 守通 2008-09-17 00:58:51
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