不感症女の数時間
詩集ただよう

只、彼が良かったのは、丁重過ぎたやり方でなく、まるで記帳するよういつも忍ばせていた必然性だった
それまで経験してきた四、五人との交際の中で、しだいに漠然と、私は遅鈍な女だと、思うようになっていった
二十歳を過ぎてからの三年間は、思い出すと、よくやっていた
目を見れば、私は少し身を寄せるだけでよかったから、簡単だった
唇を当てがうと、男はすぐにヴァギナに入れたがった
たまに、クンニリングスの方が好きな男もいたんだけれど
私はいつも、たおやめのように受け入れていた
ときどきいくこともあったけど、相手や、触れ方には関係なく、私が、高ぶった日に限って、いった
不順な生理も関係あったのかもしれないけど、そういう日の相手は、大体また電話をかけてくる
その頃から、不感症だと、思いはじめた
五人目と、別れたのと同じ春だった
あのときは気付かなかったけど、結婚を意識していたみたいで、なんだか悪いことをしたと、思ってしまう

春といっても三月は毎年寒くて、エアコンと床暖房をつけた部屋で、ソファーは濡れていた
壁際に置いてあるスピーカーでは、FMでお笑いの人が喋っていた
相手の人がいないみたいで、DJの人は話は上手だったけど、どこか会話がふわふわしていた
ソファーに身を沈めて有線に切り換えると、偶然、交響曲第9番ニ短調、第3楽章が流れていた
彼が教えてくれた話では、昔の貴族はルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを禁じていて、なんでか、聞くと、女にしかわからないはずだろうからいつか聴くといいと、言って、同じ月に、横浜みなとみらいホールのチケット、一枚と、独和辞典を、プレゼントしてくれた
特に、最近の私はシラーの詩がとても好きになっていると、言っていた
私は喉が渇いていて、へそのあたりで空腹の音もなっていた
カーテンを取り付けていない、不自然な彼の八階のリビングで、濃くなったソファーの染みを見ていると、自然と腰を揺らして、手をついて、背筋を起たせていた
私は幼いときに無くしてしまった父が好きだった
母よりも愛されることも、望んでいたかもしれない
これも今思うと、だけど、私がこの年になるまでに出会ったどこの男も、やるときになると同じように、母を置いていった父の思い出と同じように、少しでも感じられていた父性が消えかかっていって、私に向かって、どくんといってしまう
私はいつも、よがった声を出す唇に、口紅を塗ってあげたくなる
一瞬だけど、いつも思う
そんなときに限って、まわりくどく話し掛けてきた、赤坂プリンスホテルでの商談の話や、新しいトヨタのエンジンの話や、わざとらしく聞こえていた誉め言葉なんかを、思い出してしまう
この部屋の彼は、こうして、私に優しくいい聞かせ、私は裸で、食事も取らず、ソファーに沈みこみ、時間が長くなっていくように感じている
彼はいつも私にわかりやすく喋ってくれる
きつい言葉ではぐらかしたりもしない
只、何もせずに待っていろと、言う
後ろからタイを緩めながら歩いてくる彼が、優しくガウンをかけてくれる頃には、私は涙を流して、すがりついてしまいそうな程、感じている
剥がれかけのネイルの中指の腹で、触ることもせずにいる


自由詩 不感症女の数時間 Copyright 詩集ただよう 2008-09-10 20:01:29
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