兄さんの背中
小川 葉

 
子供の頃
日曜日になると
隣町まで習字の塾へ行った

習字よりも
塾をさぼって
町の本屋で立ち読みしたり
ゲームセンターでゲームしたり
そんな思い出ばかりが残ってる

ある日の塾の帰り
僕はガチャガチャをやろうとして
財布を排水溝に落としてしまった

小さな排水溝のその隙間に
子供の小さな手を差し込んでみても
途中でつっかえてしまい
財布まで届くことはなかった

ガチャガチャの商店の
店の人に相談しようとしたけれど
そのことが親にばれると
僕の親だけならいいのだが
それ以外の親にも知られることを気にして
話すことはなかった

その日はみんなガチャガチャで
お金を使い果たしていたので
誰も帰りのバス賃以外
お金を持ってなかった

公衆電話で
親にむかえに来てもらおう
という案が誰かから出されたけれども
誰ひとり市外局番を知らなかった
という
ただそれだけの理由で

かつて兄さんと呼んで慕っていた人が
僕に財布を無言で投げつけて
バスが向かうはずのその方へ
とぼとぼと歩きはじめた
財布には帰りのバス賃の
きっかり百円だけが入っていた

やがてバスから
兄さんのうしろすがたが見えた
うつむきながら歩いてる
僕もうつむいてしまったまま
バスが兄さんを追い越しても
振り向くことが出来なかった

子供料金で百円だった
百円の距離はその当時
子供にとって果てしない距離だった
じっさい十キロほどあった
その果てしない距離を兄さんが
とぼとぼとうつむきながら
歩くうしろすがたを
僕は忘れられなかった

兄さんは今
地元のスーパーの店長なのだそうだ
先日帰省したとき兄さんの父に聞いた
兄さんの店は売り上げが悪いので
少したいへんなんだと
笑って話していた

兄さんは
まだ歩いてるのだろうか
あの帰り道を
僕のせいで今も
歩いてるのだろうか

僕はバスを降りて
あの帰り道を歩きはじめる
いつまでも追いつくことの出来ない
兄さんの背中を見ながら
泣いてしまった僕を
兄さんはときどき振り返って
待ってくれている
 


自由詩 兄さんの背中 Copyright 小川 葉 2008-09-07 23:17:58
notebook Home