雨にさらされる光のない世界だけが
ホロウ・シカエルボク










懐かしい雨の音がする、俺はとっくに不具合で、伸ばした指先は必ず何処にも触れられないでいるというていたらく、唾液を呑み込むことにすら痛みが走る、故障だ、故障だ、すべては故障してしまった、砂交じりの血を吐いて呪いを広めよう、俺の寝床は薄暗い所、俺の祈りは真夜中の死角へ向けて…犬歯が唇を突き破るほどの憎しみが一段落ついた後はうんざりするほど血を流すより他に道はない、激しい雨の音がする、激しい雨の音がするんだ、満足なんて求めた時点でお伽噺になっちまってた、俺が様々に吐き出した体液の無様な渇き具合、綺麗な舌で跡形もなくなるほど舐めとってはもらえないかい、女神よ、女神よ―求めることに意味なんかない、求めることに意味なんかないんだ、欲しがるふりをしてずっと空っぽの手のひらを見ていた…本当の痛みは感覚とは無縁のところにあるんだ
なすすべなく濡れていく古い路地裏、安っぽい石畳がまるで喪失のように色を変えていく、そのさまを飽きることもなくずっと眺めていた、なぜなら俺も、なぜなら俺も…あれはいつのころの記憶だろう、どんな記憶もリアルなものなんかじゃない、どんな記憶もリアルに色づいたりなんかしない、俺のいるこの世界はいつだって浅い眠りの中の束の間の夢のようだったよ?故障だ、故障だ、すべては故障してしまった―すべては故障をし続けている、連続するものにだけ宿命がある―雨に濡れる路面、雨に濡れる路面、ああ、確かだ、確かなものなのに…記憶だけがそれを裏付けることができないまま砂交じりの血を吐き続け―俺は虚ろで一杯の何も入らない空洞になる、俺に何かを許容させようなんて思わないでくれ、俺に何かを許容させようなんて思わないでくれよ…
旋律のない音楽、旋律のない音楽、それだけが俺のすべてだった、それだけが…旋律のない音楽のその成立ちこそが―旋律のない音楽の末端で首を吊って揺れている俺、揺れている俺のコード…解析しても不協和音が溢れだしてくるばかり、虚ろで一杯の楽譜を撒き散らしながら涙を流しているソリスト、何も取ることは出来ない、宿命として在るが為の理由を…宿命として在るが為の理由を何も取ることが―思い出そうとする、だけどそんなものは初めからなかった、過去なんて確かに信じて生きていくべきなんかではないのだ、虚ろな雨に夜の木がすすり泣く、その超自然的な残響音…俺は釣られて涙を流すのだ、そんなことに、そんなことになど何の意味もないと何度も何度も何度も何度も理解してきたはずなのに、灯りをおくれよ、俺の為じゃないよ、俺の死にざまを見たがっている誰かの為にさ、おれの目の玉が裏返しになった時に手を叩いて喜んでくれる誰かの為にハイスペックな明かりを照らして欲しい…否定しても否定しても尽きることがないぜ
雨に濡れ続ける安っぽい路地の上に俺は立っていた、俺は立っていた、雨に濡れ続ける安っぽい路地の石畳の上に…濡れていくものたちが温度を奪って…俺はコンビニエンスストアで買ったビニールの傘をさしていた、安っぽい…なのに痛い出費だった、光がなかった、全く光がなかった…全く光がない雨に濡れ続ける路地の上で、俺は自分の存在の中身が轍に流れ込んでいくさまを見ていた、涙を流せないものたちはそうして雨土に汚れながら浄化してゆくのだ、俺は涙を流せない存在だった、ああそうだ、雨に濡れ続ける安っぽい路地の上には確かにそうした申し送りがあった、何度そうして送られただろう、何度そうして俺は送られてきたんだろう?雨だった、雨だった、雨だった、いつもいつも…血縁のようにそれは確かに濡れていた、俺は、そうだ、いつもそんな匂いを嗅いでいたんだ、雨の音、雨の音、雨の音、雨の音―それがどんな心理でも、少なくともその音符がある間だけは…不協和音に塗りたくられたリストがそこにある間だけは恐れないでよかった、不確かさについて首筋を固くしなくてもよかった、それがどんな種類のものであれ―あの時俺は確かにきちんとしたものの中にいたのだ、ねえ、浄化される、浄化されてしまうよ、雨土に汚れながら、不協和音の溢れる時間の中で、俺は終局を張り付けられて誰も目に止めることのない側溝の中へ歪んだ身を横たえてしまう…砂交じりの血を吐き出す、砂交じりの血を吐き出す、汚れた…汚れた息のある骸…信じたんだ、信じたんだ、信じたんだ、それがどんなものであれ、それがどんな醜悪な固形物であれ…触れるもの以外に信じることなんて本当は誰にも出来なかったはずじゃないか、器用じゃない、器用じゃない、いつだって器用であったことなんかなかった、隙間に身を潜めていびつな呼吸音を聞いていた、聞いていた、聞いていた、聞いていた、聞いていたんだ
雨が止む気配が、怖くて怖くて仕方がなくって、川べりで拾った小石を耳の奥へ詰め込んだんだ、いくつも、いくつも、いくつもいくつも…カーテンを引いて、しっかりと隙間を合わせて…世界なんて本当はないんだって信じ込もうとした、本当に信じられるならそれは嘘でもよかった、真実なんて、真実が必要かどうかなんてそんなことたいした問題じゃない、俺たちは真実の上に生きているわけじゃない、捨てられていくんだ、捨てられていくんだ、気づいたら渇いた路地の上で存在が焼けついている―カーテンの隙間をきっちりと合わせて…きっちりと合わせて小石たちがゴリゴリと耳の奥で音を立てるのを聞いていた、おお、真実だ、真実が確かにそこにあった…否定出来るか、否定出来るか、否定出来るのかよ…そんなこと大して重要なことじゃないんだ、例えば鼓膜を失ってしまったとしてもさ…失わないでいることなんて一番不幸なことじゃないか―雨は止まない、雨は止むことはない、俺は安っぽいビニール傘をさして


雨に濡れ続ける安っぽい石畳の路地の上に立っていた、流れていく、流れていくよ…



見届けて、きちんと

どこかへ葬っておくれ










自由詩 雨にさらされる光のない世界だけが Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-09-06 19:25:00
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