切れる代官山の愉快犯
詩集ただよう
凄惨極まる現場だった。ともから電話を受けて向かったときには既に門の辺りを警察や教師が占拠していた。周りを囲む人垣の年齢層は様々で、中には久々に見る顔もあった。二車線の道路の信号が赤から青に変わると、地方局のバンが矢継ぎ早に僕とともを追い越していった。
ピントが定まりきる前にわかった程、とにかく血が凄かった。そのうえ、状況がおかしかった。乾いて色は変わっていたがラフレシアのように血の臭いを放つ小屋中の壁面にはぱっと浮かぶ大抵の色が投げつけられポップに散らばりとらとらと蜜のように垂れていた。そこを指でなぞるようにして数人の男達が真剣な顔で話していた。他の男達は木扉近くに置かれたビニル袋に一羽一羽、写真を撮り終えた死骸を詰め込んでいるところだった。その多くは頭部を何か硬いもの、例えばトンカチか何かで、かち割られているようだった。割られた位置から膿のようなものが潰れ出し、とさかにこびりついていた。壁の裏のうさぎらも耳を真ん中くらいに切られていて、当然頭は鶏と同じ有り様になっていた。産まれて間もなさそうな子うさぎが一羽だけ綺麗な体をしていたが、茶色がかった背には刃物が突き立てられたままだった。時々、変調する鼓動を聞きながら、そこで素早く望遠鏡を取られた。あれはわたをぶちまけた小屋だった。
まじまじと半分嬉しげなともがうわあだとか、うええだとかわめく横で、冷えた鉄柵に背をもたれかけ、ショッポに火をつけた。両手の指先がひび割れそうなほど冷たくかじかんでいて一苦労した。ようやく、ふうと吹き上げた一口目の煙と白い息が強風にあおられ消えた。僕は震えたままに膝を折り、体操座りで何かしらの違和感を眉間に集めまさぐっていた。違和感というよりは食後の異物感に近く思った。確かめるように口元に手を当てて、煙を空の肺にたたき込んだ。落ち着いていなかったのか、それがそのまま胃へと流れ、咳込んだ。
おえ、見ろよ、すげえって、と続け様に言われた。
翌日、二つあった講義を休んだ。マンションの屋上に長くいたせいで一日早く冬休みに入れた。それから数日経った旅行当日の朝、早くも模倣犯が出ましたと小倉さんが切れていた。
蒲田と、汐留から神保町とを歩きまわり、神保町のつけ麺屋で晩飯を食った。写真を専攻して三年目の終わりになって、ようやく自分の街を撮り飽きた。就活に行く体で最初に着いた蒲田では、何の面白味も感じなく、仕方なく、工事中の立体高架を数枚撮った。人どおりのまばらな汐留から散歩を始めて、何kmも歩き、神保町にたどり着いたあと、古本屋を回りきったらフィルムが切れた。つけ麺ってやつは写真で観たほどに旨くはなかった。店を出るととっくり陽が暮れていたので、白山通りでタクシーを拾った。
皇居の堀を回り、日比谷、新橋、虎ノ門、赤坂、青山通りで、もうすぐ渋谷ですよ。おっさんの訛りと東京タワーのイルミネイションが2016だったのが、妙にマッチしていた。降り立った渋谷センター街近くの通りの脇で、カメラを鞄にしまい、あと二日、何をしようか考えた。
* *
ひび割れた白縞を踏まないよう横断歩道を渡っている。青年は坂をつらつら上がり、観たことがあると感じたカフェテラスの前で、休憩がてら花壇のへりに腰掛けた。向かいにはVIA BUS STOPのショウウィンドウ。真夜中である。鎗ヶ崎交差点でモデルと擦れ違っていたことに青年ははたとマネキンを見たとき気が付いた。幾分疲れているようだった。初めて訪れた代官山界隈に並ぶ街路樹はきらきら彩られている。青年は鞄を足元に煙草をくゆらし、手元に持ったディスプレイを眺めていた。新着ニュースが文字でさらさら流れ、今朝の模倣犯が捕まっている。やはりキャスターの言った通り、くだらない、単なる愉快犯であった。青年の眉間で何かがほどけた。
フィルムをすげ変え、シャッターを切りながら、青年は辺りを散策した。代官山は無人である。