少女でも少年でもないのだから
紫音
少女である
ということが特権であった時代は過ぎ
少年である
ということが特権であった時代はもっと前に過ぎ
いまや
少女でもあり少年でもある
ということが特権であるかどうかも怪しい
死ぬ権利
ということが言われて久しい
死ぬ義務
ということは免れようもないので義務ではなく
いまや
生きながら死んでいく
ということが死にながら生きているのと区別がつくかも怪しい
峠を越えたあたりの山小屋で
ここで飢えていくのだな
と感じた瞬間に
目の前に一斤のパンがあり
あり難いと思いながらも
死ぬことも許されないのかと 希望を霧散させる
世界には飢えて死んでいく人が数多いるというのに
ここでは飢えること自体がニュースにさえなり
ニュースは娯楽でしかないことが
此処という存在を歪にしていく
そこには 現実感がない
薄情でどこかおかしいのかもしれない
が
表面張力のように無理して感じてるフリをするよりも
分からないことを分からないという
その強がりをどこまで許容するのか
さりとて
少女でも少年でもないわけで
いつ時代が過ぎ去ったのかも気づかず
ぼんやりしているうちに
死ぬことの役割を考えるようになり
死ぬ
ということは
どこかで飢えている一人が生きることに繋がるのだろうか
それとも
関係なく
此処に飢えられない人がもう少しだけ
飢えられないだけなのか