少女でも少年でもないのだから
紫音

少女である
ということが特権であった時代は過ぎ
少年である
ということが特権であった時代はもっと前に過ぎ
いまや
少女でもあり少年でもある
ということが特権であるかどうかも怪しい

死ぬ権利
ということが言われて久しい
死ぬ義務
ということは免れようもないので義務ではなく
いまや
生きながら死んでいく
ということが死にながら生きているのと区別がつくかも怪しい

峠を越えたあたりの山小屋で
ここで飢えていくのだな
と感じた瞬間に
目の前に一斤のパンがあり
あり難いと思いながらも
死ぬことも許されないのかと 希望を霧散させる

世界には飢えて死んでいく人が数多いるというのに
ここでは飢えること自体がニュースにさえなり
ニュースは娯楽でしかないことが
此処という存在を歪にしていく
そこには 現実感がない

薄情でどこかおかしいのかもしれない

表面張力のように無理して感じてるフリをするよりも
分からないことを分からないという
その強がりをどこまで許容するのか

さりとて
少女でも少年でもないわけで
いつ時代が過ぎ去ったのかも気づかず
ぼんやりしているうちに
死ぬことの役割を考えるようになり

死ぬ
ということは
どこかで飢えている一人が生きることに繋がるのだろうか
それとも
関係なく
此処に飢えられない人がもう少しだけ
飢えられないだけなのか


自由詩 少女でも少年でもないのだから Copyright 紫音 2008-08-27 00:15:39
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