ブロッコリーをなげつけろ
詩集ただよう
勢いよく地面から跳び上がり、行儀良く合わせた両足で押し倒したのである。我が地位を脅かす敵の甘物屋主人は己が後頭部にて総本山の暖簾押しをふんわり成し遂げ、婆の着物直下、特異な内部へ侵入し、優しき婆立ち尽くし、主人に代わり断末魔の叫びを上げる。数秒後、依然として広域を支配するビブラートに更年期障害をも併発し、間断なく痙攣する宿敵。
私は菓子折りを、よろしければ羊羹も買いに来た。それがいま、特異な内部へすべり込ます。
閃光、興奮、淫乱、着床、再発射を願わされ、今布に包まれる。そんなところだろうと思っていた。水素、潮流、上陸、繁栄、謎は深まり、仲直り。それも悪くないかもしれません。おぎゃあ。このウブなナリ、嗚呼、我が産声。
あれから十余年か、と私は邸宅の座間で寝転がり、感慨に耽っていた。お祖母さまの温かい膝に頭蓋を委ね、耳垢の掃除をして頂いていた。まだお祖母さまが存命であった頃、田島一族髄一のお祖母さま子であった私はかように暇さえあればお祖母さまの元へ馳せ参じ、耳掃除をせえや、と毎度言い聞かせていた。
「ブロッコリーをなげるのだよ。あんたの好きなときになげたらええ。なげなさい。なげなさい。」
そんな私を寵愛するように、お祖母さまは毎夜床に着いた私の耳元で嬉しげにそう言ってくださるのであった。まだ幼く、陰毛の似合わない年頃であった私はそれを鵜呑み、家訓とし、その後も忘れるはずがなかった。
事の次第が明らかになったのはお祖母さまが家から居なくなられて数週間後、軽弾みに二人の秘め事を父上に漏らしてしまったことに始まる。父上はそのとき私にこう教えて下さった。
「ばあちゃん痴呆やけん。」
合点がいった。いたく感心させられた。いや、所々感付いてはいたのだが、その思いはいつも時の狭間に捨て置いてきた。何故なら、お祖母さまの温かい膝に我が身を委ねると、全てを忘れさらるるからであった。父上はこう続けた。
「こんなに明るい痴呆は見たことないって人気者や。ばあちゃんやりおったで。人気者や。やりおったでー。」
その直後、乾杯、と続けた父上と田島一族在りし日の食卓。中央に置かれた洋皿には、苦しくも青々と茹がかれたブロッコリーが整然と並んでいた。
甲斐塾で学を忍ばせた帰り道、私は足を急がせていた。兄上との約束でその日はお祖母さまに会いに行く日だったのである。私は学帽を玄関引き戸の脇に置き、ちぎりもせずにおいた一房のブロッコリーを握りしめ駆けたのであった。
着くと、どうやらお祖母さまは部屋におられぬらしく、受付婦人に連れられ外へ出ると、お祖母さまは他の皆と体操をしておられた。いっちにっさんっしっ、とリズミカルに膝を曲げ、伸ばし、手を、広げ、アルプスの少女の笑顔を私へ向けた。歓喜満ち満ち溢れた私は後ろ手に野菜を隠し、空一杯に手を振ったのである。
「よいしょおー。」
お祖母さまがジャンプした。
撒けぬ。その後、奥の暖簾から颯爽と現れた若者は店内中央で立ち止まり、スーパーヒーローを模した背筋に両腕で辺りをしばし静観し、ひれ伏し併発中の主人を見付けるや、奇っ怪な口調で唾を散らした。生来かような想定はしていない私ではあるけれど、渦中の若者の判断力は鈍っていると見抜いた類稀なる洞察力にて、一般客よろしく見知らぬ顔できめたまま、よもや口笛という愚行。所詮見付かる。それから三百ミーターは走っている。息はもうきれ切れです。
お祖母さまの部屋へ招待された。お祖母さまと繋いでいた手を離し、私がブロッコリーを花瓶に挿している間、お祖母さまは白く整ったベッドで運動を終えたばかりの半身を温め、遠い目をカーテンの外へ開け放っておられた。そして、何かを思い出すように私に聞かせて下さった。原文のままに記載する。
「(部屋から見える木を指差して)そのくらいやね。凄かったよ。追い越しとったもん。うちが初めて運転した夜よ。あんた知っとる。うちはお父んから聞いててんけど、やっぱり死ぬーて出た。そらあ。あんた。直立不動やん。びーん立っとんやから。根元に。砂がぽろぽろぽろぽろ落ちとってね。根っこが前てね。おかし。真っ赤っかなぼろ布をばたばたばたーてなびかせてね。軍人さんみたいな身体つきで、ばちーん立っとんて、腕組んで。おっきな木やったよ、あんた、箒ちゃぺえぺえやからね。」
お祖母さまはもぐもぐと茶を含み、全くと言っていい程私の方を見られなかった。私は昨晩知り得たお祖母さまの好物であったという物に手を触れ、父上の言葉を思い出していた。
「好きな物は覚えとんのなあ。けど、それは覚えとんのかなあ。」
―「とおーう。」
ベッドの上に広く立ち上がりお祖母さまはブロッコリーをちぎっては窓の外へ投げておられた。家訓であった。私は心に深く座し、ベッドの下から尿瓶を取り出すべく籠を引いた。館内では最早勇名勇士なるお祖母さまへ宛てられたリボン付きのブロッコリーがそこにはあった。たくさんあった。私もたくさん投げた。次々に投げた。
馬鹿め若者、敢えて遠くに忍ばせた我が自転車、その初速に苦悩しろ。この先の坂で貴方は何を思う。ははは。は。右へ左へ蛇行する私を若者は俊敏たるスニーカーをタタタタ鳴らし、十ミーター後ろを激しく追随す。左へ右へ蛇行しつつも、焦燥しつつ駆け下りていき、途中何度も確かめる。若者と二度も目が合い、必然として、背を向ける。あの栄光の予定地点を過ぎてしまえば、この下りには何もない。