イワン・デニーソヴィチの一日
パンの愛人

 ソルジェニーツィンが死去した。享年八十九歳だったという。
 かれの文学的な実績や政治にあたえた影響については、今後もいろいろな評価がなされるだろう。そして、今後どのような評価がなされるにしろ、「収容所群島」が文学史上にひとつの事件として記載されつづけることに変わりはないように思う。
 たしかにかれはソ連共産主義体制下の反体制知識人として活躍したが、しかしだからといって自由主義陣営の迎合者であったわけでもない。かれの政治信念を支えていたのは、ひとえに熱烈な愛国心であった。かれに国外追放の憂き目をあわせたのは、あるいはこの愛国心の結果だったともいえるのである。それが文学者として幸であったか不幸であったか、それは簡単に答えることができない。そのどちらでもありうるからだ。
 かれは正統なロシア文学の系統者であるが、同時にその文学があまりに政治と密着しているために、それについて何かしらの判断を与えるだけの用意が、いまのわたしにはない。ただ、この機会に、「イワン・デニーソヴィチの一日」を読み直して、単純に面白いと思った。深刻なテーマを取り扱っていても、どこかしらユーモアが漂っていて、やはりロシア文学特有の人間の大きさが感じられると思った。読後感は非常に爽やかなもので、とくに哀傷を誘われることはなかった。かれの死について感傷的になるには、かれとわたしは、そしてかれの生きた時代とわたしの生きる時代は、あまりにとおくかけ離れてしまっているわけだ、すくなくとも「実感」というレベルにおいては。
 「イワン・デニーソヴィチの一日」はソルジェニーツィンの処女作にあたり、そのタイトルが示すとおり、主人公イワン・デニーソヴィチのラーゲリでの一日を、朝の起床から夜の就寝まで時間軸に沿って記述しただけの、物語の構造としてはごくごく簡素なものである。しかし、キャラクター豊かなさまざまな登場人物によって、ロシア社会そのものが浮かび上がってくる仕組みになっていて、けっして読み手を退屈させない。「私はもうラーゲルにいた時分から、その生活の一日を描くことを心に決めていたのです。トルストイはかつて、まる一世紀にわたるヨーロッパ全体の生活は長編の対象になりうるが、ひとりの百姓の一日の生活もまたなりうる、といっています」というソルジェニーツィンの意図が作品の上に見事に成就されているように思う。
 一読してわかるとおり、この小説はまったくの日常性につらぬかれている。言うまでもなく、ラーゲリという過酷な状況も、そこで生活している人間にとっては日常にほかならない。これは当然のことだが、しかしどのような日常も、それを局外から眺めてみれば非常に奇妙に映ずることがあるのもまた当然のことである。ラーゲリという舞台装置はその違和を鋭く浮き彫りにする。
 
 囚人にとって最大の敵はだれか? 別の囚人だ。もし囚人がお互いにいがみあうことがなかったら――ああ!……

 これは囚人にとっての実感であろう。敵は権力者層にいるのではない。上にいる者ではなく、横に並んでいる者が最大の敵なのだ。反権力を標榜する正義が、生活に根を下ろしていない空理空論であることは珍しくない。
 あるいは、次の場面はどうであろうか。
 
 シェーホフ(イワン・デニーソヴィチ)は、すっかり満ちたりた気持で眠りに落ちた。きょう一日、彼はすごく幸運だった。営倉へもぶちこまれなかった。自分の班が<社生団>へもまわされなかった。昼飯のときはうまく粥をごまかせた。班長はパーセント計算をうまくやってくれた。楽しくブロック積みができた。鋸のかけらも身体検査で見つからなかった。晩にはツェーザリに稼がせてもらった。タバコも買えた。どうやら、病気にならずにすんだ。
 一日が、すこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ。

 これは小説のほぼ終末部にあたる箇所で、眠りにおちる前に今日一日を概観しているわけだが、この概要を見ただけでも、ラーゲリでの悲惨な生活ぶりがうかがえる。では、それを「すこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる」のは何故か。
 これらふたつの引用を、ラーゲリ生活が生んだ一種の倒錯として一蹴することは現在のわれわれの生活をかんがみても容易であることはたしかだ。しかし、先にも述べたとおり、ラーゲリという極限状況も畢竟ひとつの日常であるのだから、便宜的に捨象して考えてみれば、ラーゲリとわれわれの日常とのあいだにはせいぜい程度の差しかないことが理解されるはずである。
 この小説は、上の引用につづいて次のようにして終わる。
 
 こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまでに、三千六百五十三日あった。
 閏年のために、三日のおまけがついたのだ……

 たとえば、これを痛烈なアイロニーと評しても、それは読者の勝手だろうが、ソルジェニーツィンのペンの動きに曖昧な要素は一切ない。


散文(批評随筆小説等) イワン・デニーソヴィチの一日 Copyright パンの愛人 2008-08-25 21:23:50
notebook Home