台所に向かい、買ってきたばかりのコロッケを油槽に入れる。
油はねが怖くて身構えるが、コロッケも、油も、おとなしいものだった。
その代わり、ぷくぷくぷくぷくぷくと小さく水泡を立てた。
珍しいこともあったものだ。と私はしげしげとコロッケを見つめる。
新品の油は黄味がかっているが透明だ。まるで水の中で息をしているようにも見える。
そういえば、そんな小説が昔、無かったろうか。
台所に向かい、買ってきたばかりのしじみをボウルに入れる。
砂を吐き出させるために、水を入れた。夕食の支度まで、放っておく。
じっと器を見下ろすと、ぷかっ、ぷかっ、と泡が水面に浮かんできた。しじみの呼吸だ。音も無く殻を開き、息をしている。それを蝉は、一心に見つめる。生きている。いいなあ、と思う。
この、しじみの砂抜きをしているときが、それを眺めているときが、蝉にとっては最も幸福が感じられた。他の人間がどうなのかはわからないが、しじみの呼吸を眺めているときほど、穏やかな気分になれることはなかった。
(中略)
それからまたしばらくの間、しじみののんびりとした、静かな生命のしるしに見惚れる。
そうか。コロッケじゃなくて、あれはしじみの話だった。
自分が小説の人物の一人に成れたような、そんな気がしたのだけれど。残念。
いや、待てよ。しじみとコロッケは別物だけれど、それを俯瞰で見ている構図は同じだ。だとしたら、しじみがコロッケだとしても小説は成立するんじゃないだろうか。よし、じゃあちょっとやってみようじゃないか。
じっと器を見下ろすと、ぷかっ、ぷかっ、と泡が水面に浮かんできた。コロッケの呼吸だ。音も無く殻を開き、息をしている。
やっぱりだめだ。コロッケは呼吸しない。
どうしようもないことに、殻も無い。コロッケにあるのは、さくさくの衣だ。コロッケに衣が無くてしじみの殻があったら何がなんだかわからなくなってしまう。完全に創作料理の域だ。しかも食べにくいことこの上ない。マズそうだし、自分で閉じたり開いたりはしてくれなそうだ。
コロッケではしじみの代わりは果たせそうもない。失敗。
上手く行きませんでした。空想は終わり。自分への示しとして、わざと唇を尖らせた。
「どうしたの?」
ドキリとして振り返る。いつのまにか彼が後ろにたっていた。そして思う。
いつ帰ってきたの?あれ、もしかして私一人遊びを見られていた?恥ずかしい。おかえり。ああ、頭の中だけのことなんだから彼に解る訳ないや。汗だくだね。暑かったの?でもどうしたのって聞かれた。先お風呂入ってくる?ビール冷えてるよ。何か答えなきゃ。やっぱり恥ずかしい。今日のご飯はコロッケだよ。
驚きと気恥ずかしさで口をパクパクとさせていると、ぷっ、と吹き出して彼が言った。
「なんか、しじみみたいな顔してるね。」
ぱくぱくと動き続けていた口が、開いたまま止まった。
だとしたら、あなたは蝉かしら。
作中の引用は角川書店発行の伊坂幸太郎『グラスホッパー』90ページ2行目より
蝉とは人物の名前で通称のようなもの