ある日のデッサン
かんな


一人称にわたしを選んだときに、わたしの中で何かが定まったような気がしたことにも気づかずに生きてみました。誰もが等しくも、そんなに愛おしくもないけれど、立ち止まる分には時は同じように流れるみたいに。

言葉のかたまりを作るという行為を知ってからかなんなのか、生きていく上で必要だったのか、それはどちらともつかないですけれど、無理をして言葉をさがすとかいう行為を覚えたような気がします。そんな真昼は。

イスの曲線のようでいて、あの日見た草原のようにフラットなことばを大切にしたい、そんなことしてほんのり立ちくらみを起こした時には、大丈夫ですよと笑顔で応えてみせます。あくる日の朝に。

右を向けば未来を見定められる?左を向けば過去を見つけられる、ような感覚にだけは陥らないように、少しばかり注意しながらいつもボタンにカーソルを合わせてはクリックを続けます。そんな日の午後。

ことば、をさがすならもっとしぜんに目を向けるといい。そう教えられたもののおのずから目が行く性分でもないのでむりくり探してみるとひとつ。夕陽にさらされた影がゆるやかにゆるやかに伸びて、小さなわたしが見つかったのでした。




自由詩 ある日のデッサン Copyright かんな 2008-08-20 08:39:15
notebook Home