詩というものの、ただ一部分について
こばんねこ




私は、詩を書くことが苦手である。
それはたぶんあまり自分が綺麗な言葉を持ち合わせていないからだと思う。
ここでいう「綺麗な言葉」は、詩というともすればただの散文にしかならないものを纏め上げる力を持った言葉のことである。
私たち詩を書こうとする人間は、そういった言葉を多くの言葉の中から選び抜くわけだが
どうも私にはそれはとても困難なことのように思える。

私の作品は総てといっていいほど短い。
ここに投稿したものやノートに書き溜めたもの、また携帯やパソコンに打ち込んだものの大体は一画面ほどで終わってしまう。
言葉の選択の苦手な私は、綺麗な言葉を一作品にたくさん詰め込めないのだ。
たとえ詰め込んでも、次の作品でぼろがででしまう。
そんなとき、私は自分の実力のなさを痛感する。

皆さんはどうやって詩を作り上げているのだろう。
思いついた言葉を選び抜き、繋げていくことがどれほど困難なことか感じているのは私だけではないか、と時々不安になる。
ポイントが入っている入っていないにかかわらず少々の長さのある作品を見るたびに思う。
ただ連なっているようにしか見えない言葉も、投稿者からしたら選び抜いた選りすぐりの言葉であり、その人の中のそのとき思いつく綺麗な言葉だ。
私には、自分の中でさえそう思える言葉が少ないという事実があったりする。

自分で納得いかない言葉が、どう人様に受け入れられるだろう。
いい詩が書けるか、の前に私にはいい言葉が選べるか、という壁が大きいのである。
つまり結局は、私は詩を作るという行為がとてつもなく難しいと感じている。

しかし、それでも作り続けるのは、やはりこういった形で残す方法を選らんだあたりそうとう自己主張が強いのではないか。
だとしたらそんな自己主張の強い人間は、いつか納得のいく綺麗な言葉が浮かんでくる、もしくは作り出せるのではないだろうか。
そんな淡い期待を込めつつ日々意味があったりなかったりする言葉を選んでいる。



私は、詩を書くことが苦手である。
皆さんは、どうだろうか。




散文(批評随筆小説等) 詩というものの、ただ一部分について Copyright こばんねこ 2008-08-19 15:14:43
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