自問自答と風邪薬
紫音

私は誰でしょう
こう問いかけて、応えてくれる人がいるだろうか
自問自答は風邪薬に似てあまり効き目がないのだが
半分は優しさで出来ているのでしょうがない(自分への)

どうにも居場所が無いようで
どこに居ても落ち着かないのです
ここにいても あそこにいても どこにいても

思えばほぼ全ての友人が
本名ではなくペンネームで呼びかけてくる今となっては、
役所か銀行か郵便局が逆に別世界のようだ
どちらも自分であり自分でないような
会社ですらニックネームでしか呼ばれない
更新物は自動更新なので、新たに申し込まなければ書く機会もない
この前とある件で散々名前を書かされたのが新鮮なくらいに


さて

言葉に何らかの力があるとして
名前にもそれは及ぶだろうか
及ぶとして名前を変えたらどうなるのだろうか
全てがリセットされる といったゲームの御伽噺ではないので
そんなこともないのだろう
いつの間にか定着しいつの間にか更新されていく

制服みたいなものか
中学生、高校生、ちょっと飛んで社会人(スーツ、ね)
それが人を表すようで
名前よりもそちらの方が優先されてしまったりもする
だからどんなに童顔でもスーツを着て子供料金は咎められる
あ〜見た目だから、ね
そんなわけだから
名前を変えるのも制服を変えるようなものなのかもしれない


私は何でしょう



性別明記してても名前で間違えられるし
記号は記号でしかないのだから
それほど何が変わるわけでもないので
私は何、と問うたとして
問題は私が私である
という確信が無いところにあるのかもしれない
私って何だよ?


私が私を私として規定できないのに、何故問う必要があるのか
名前もジェンダーも肩書きも
結局は他人が識別する記号でしかないはずなのに
なぜこうも問う?


疑問のべき乗だ


数学は苦手だ

赤点だらけだったし

かと言って

言葉もうまく語れないのだから

いったい私は何なんだ?




ティーカップの底に残った角砂糖のようだ

いっそ洗い流してしまいたい

半分の優しさは 自分にだけ甘い


自由詩 自問自答と風邪薬 Copyright 紫音 2008-08-19 01:09:13
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