ふたり映画
ザ・凹凸目目
自分が主役の映画を撮っている
彼女が助演兼カメラ
僕も彼女も出るときはカメラを三脚に載せて録画ボタン押してカメラの前で二人して色々する
困るのは台詞
あと顔
台詞は恥ずかしくて言えないし顔はすごくこわばってる
いっそ台詞なしにするか
自分監督だし
僕の目線で見た風景だけで映画にするか
僕顔映らない
これ良い
彼女の顔こわばる
「もっと普通に映ってよ」
僕監督だし色々言う
彼女怒る
彼女怒ると映画撮れなくなる
二人の人が色々する脚本なの
内容かえたくない
僕脚本家だし
やっぱ僕も出ないとダメかな
だってそういう映画だし
監督がそう言ってる
演技したくない
「だから普通にしてればいいから」
監督ぅ
土日は撮影休み
彼女との仲修復する
チュウチュウチュウ
夜絵コンテ書いて撮影準備万端
さーて
青空に雲ぺとぺと
天気良好
誰も覗かないカメラの前で僕と彼女は演技をする
誰も覗いていないカメラが僕らを見る
カメラの最強に重い視線の前で台詞言いたくない顔こわばる
カメラの視線を無視して今晩の僕たちを意識してみる
ソファに並んで座って今日撮った映像をテレビで見る僕たち
カメラを挟んで今の僕たち二人と今晩の僕たち二人
カメラに重さはない
天秤の支点
僕たち二人と僕たち二人でちょうど釣り合ってる
ように見えるけどそうじゃないのだ
支点のカメラを通して流れ込む今晩の僕たちの視線
カメラの前の僕たちもカメラに視線を送る
やっと釣り合った
でもダメだこれじゃ
映画でカメラを見るのは禁じ手
ってそれもそうだけど僕は映画を作っているのだ
僕と彼女の二人が見るためだけの未来の自分たちへのビデオレターを作っているのではないのだ
カメラの向こうには二人じゃなくもっと沢山の人がいて欲しいしそれを前提にして作らなければいけないのだ
僕たちのやろうとしていることの無謀さを知る
カメラの最強に重い視線は僕が無意識のうちに想定している無数の人の視線だったのだ
ダメ、終わった
僕たちはカメラを見つめてとりあえず今晩の僕たちとの釣り合いを保ちつつ途方に暮れる
もう映画んなんない
映画の現場にいる人たちはこんなとき普通どうしているのだろうか
俳優とか映るのが仕事の人は多分生まれつきそういう重みに耐えられる体質なんだろう
だからそれが仕事になる
それに沢山の人がカメラのあっち側にいてカメラ覗いたりガンマイク持ったりレフ当てたりそれぞれの補助したりただ見てたりする現場では、カメラを通した向こう側の視線はあまり問題にならないのかもしれない
架空の沢山の人よりその場にいる沢山の人こそが問題になるのかもしれない
例えばラブシーンとか
ラブシーンは最小限のスタッフで臨むとある監督は言っていた
そうなのだ
僕の現場ではカメラのあっち側に一人か0人しかいないから架空の沢山の人が問題になってしまうのだ
というか問題にしなくて良いのだ
僕らはカメラの視線だけに耐えればいいのだ
無意識のうちに増量する架空の視線を意識的に排除し、僕は今晩の僕たちの視線を意識する
それがこの現場でのカメラの視線の重み
僕はもうカメラを見つめる必要はない
これでよし
あとは顔がこわばる彼女にこのことを上手く説明しなければいけない
カメラが支点になって僕らと僕らが上手く釣り合うなんて説明してもわかってもらえないだろうか
「カメラの向こう側にいる今晩の僕たちのことだけを意識して」
なんて言ってもダメだろう
無意識の重みを降ろしてあげないと
となると僕の思考をいちいちなぞって言ってあげないとダメだろうけどそれでもダメかもしれない
でもなんとか説明してそれでもダメならなんとかカバーしてあげよう
主演、監督、脚本の僕の、それが役割だ