調律師と靴紐
紫音

誰もいない路地裏の街灯の下
空を見上げて呟く
少女 一人
星も月もない夜に
膝を抱えてうずくまり
火照った脈を測りながら

忘れ去られた夢を食べながら
獏は大きくなった
誰も望みもしない
誰からも望まれもしない
大人になった
やがて空を翔るために

薄明かりが漏れる街並みの縫い目
旋律が縫い付ける虚無と現実
少年の声
ファルセットの響き
誰も気づかない暗闇の中
調律師は現われる

失われた境界
人と世界を繋ぐはずの
解けた紐を
再び結ぶために
調律師は歌う
善も悪も虚偽も真実も
全てそれが世界であると

曲がった胡瓜を捨て
葡萄から種を奪いながら
切り刻んできた紐は
もう結びなおすことも難しい
それでも
調律師の少年は歌う

ファルセットの光は
闇夜にこそ輝くから
月も星もない夜
現われる
影も見分けが付かないほどに
旋律を奏でながら

やがて消えていく
星は掃除され
月はワインのつまみにされ
薄明かりはぼうと薄暮となり
闇夜は消されていく
調律師の世界は殺される

天使のような羽もない
ただの少年の調律師
やがて消えていく瞬き
調律師は大人へと調律され
喪失が成長を促し
大人の獏になる

鐘の音の祝福が
調律することさえも忘れさせ
流れに任された獏は
自分だけの世界へと帰る
音律の無い世界へ

解かれ切り刻まれた靴紐を残して


自由詩 調律師と靴紐 Copyright 紫音 2008-08-12 18:32:58
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