この夏は
高杉芹香

この夏は妙に心が揺さぶられる。
年齢のせいかもしれない。
体調がうまくないせいかもしれない。
たった35年しか生きてないように思いながらも
もう35年も生きたような気持ちになって
何やってたんだろうとか
どうやってこれから生きてくんだろうとか
ここのところ考えている。

少し壊れてしまったのだろうか。
誰も言わないけど、既に壊れてしまったんだろうか。

一昨年かな。それよりもう一年前かな。
ひとりで長崎に行った。
氣志團のGIGの翌日に、午後の飛行機の時間まであちこち歩いてみた。
街並みはまるであの悲劇を思わせることなく活気付いていた。

記念像は綺麗で。空も淡い青で綺麗で。
生きてる自分が今ここで空を見上げてることがなんだか不思議な気分だった。
月日が経過してるだけで、これだけ平和なんだと思った。

坂道を下って小さな川べりを、原爆投下地点に向かって歩いてみた。
予想に反して、質素に、ただひとつ、小さな塔が立っていた。
ここに、あの朝、原爆が落ちたんだ、、、。
考える暇もなかった。
投下地点のその塔の前に立ったとき。
体が震えて、ざわざわと、ただ大きな風を体が感じて、
涙が止まらなくなった。
あたしはひとり しゃくりあげながら泣いた。
真っ赤なコートを着て、塔の前に立ちっぱなしのまま、たったひとりで泣きじゃくる女の姿は、傍から見たらきっと奇妙だったに違いない。

あれは何の涙だったんだろう。
特別、霊感があるわけでもないけれど。
あそこには。
強いパワーを感じた。
パワーって語彙はきっと違うんだけど。
それは凄い念だった。

たまたま、その時代に生を受け。
この地で生きてただけの先人たちだ。
どれだけ生きたかっただろうか。
どれだけ熱かっただろうか。
どれだけどれだけ
愛する人ともっと共に生きたかっただろうか。

考えれば考えるほど。
たまたまこの時代に、この肉体に生を受け、あの地で生まれ、生きて来ていた自分の運命を ただそれだけの運命が どれだけ 自由と平和に満たされていたのかを感じた。

振り返れば、家族連れが3人で散歩していて、長崎にも平和が訪れていた。
優しい日曜の陽の光が家族連れを包んでいて、その様子を見ていても、はらはらと涙が止まらなかった。



あたしの母は昭和21年。戦後すぐに生まれた。
団塊世代と呼ばれる彼女から生まれた私は団塊ジュニアと呼ばれる。
あたしはばあちゃんっ子で。
母さんの仕事が終わるまで、小さい頃はいつもばあちゃんの家にいた。

ばあちゃんちにいると、おやつはお菓子じゃなかったし、ジュースも飲めなかった記憶がある。
ばあちゃんは戦争中の貧しかった頃のことをたまに話してくれた。
母には厳しかったらしいが、孫のあたしには、いつも優しいばあちゃんが、あたしは本当に大好きだった。

ばあちゃんは平成になってすぐに死んだ。
そのわずか1年前か。
上京したてだった私は、「親孝行や」と言ってばあちゃんを東京に連れて来た母さんと、はとバスに乗って東京巡りに付き合ったのを覚えている。
18歳のあたしは、田舎姿のばあちゃんと手をつないで、明治神宮の砂利道を歩いた。
親のことはなんだかいつも恥ずかしい、恥ずかしい、と思っていたが、ばあちゃんのことはどれだけださいカッコを彼女がしていても、全然恥ずかしくなかった。
あたしはばあちゃんが大好きだった。

彼女は76年の人生を生きる中で、色んな景色を時代を歩いたんだと思う。
彼女が見た最後の時代は美しかったんだろうか。


平均余命も約、男性76歳、女性85歳とそんな話を聞く。
あたしもそんなに生きられるんだろうか。

あたしたちが生まれたこの時代は。
すっかり平和で。
モノに溢れていて。

優しさとか、感謝とか、自由とか。
ついつい、そこに当たり前にあるものになってて。

気持ちは贅沢になり。
欲ばかりが交差する。


欲しいとかいらないとか
もっととか
もっととか
もっととか。





あのときのあたしはなんで泣いたんだろう。
あのとき感じた風はなんだったんだろう。


仕事で数字数字って言ってても
毎月1日に物価が上がっても
外気温がおかしなくらい上がっても



あたしは
『愛と平和』がここにあることが一番大切だと思った。
『愛と平和』を保つことが重要だと思った。
世界にも、ひとりひとりの人生にも、
愛満ちることを願った。



平成20年8月の私には。

愛する人がいます。
その人を想えば
自然と優しさで溢れていきます。

今日も心が愛で満ちています。


どうか。
少しでも。
少しでも永く。
少しでも多く。




この愛と平和を。






彼の言ってくれた好きが どんな種類の好きかを気にして眠れなかった昨夜も もうどうでもいい。


あたしがあの人を愛して

生きている。


この時代にこの肉体に生を受けて。
生きている。


あたしに出来ることは。
優しさだけで
明日の平和を守ること。



せめて8月は。
先人の痛みを
今の平和を
感じよう。
考えよう。


この8月。
銀座や新宿三角ビルで 平和を考えるイベントが行われます。

実家に帰る予定も
あちこち出かける体力もないあたしは。

今 生きてる理由を考えに行ってみようと思います。


散文(批評随筆小説等) この夏は Copyright 高杉芹香 2008-08-08 03:11:32
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