今夜月明かりに虹を見る Ⅱ
rabbitfighter

太陽の光の届かない海底で暮らすのはどんな気分だろう。昼と夜の区別のない世界で暮らすのは。
「おはよう」と、彼女が言う。おはようと僕も答える。彼女がベッドの上で軽く伸びをすると、乾いた音が小さな僕の部屋の壁を優しく撫でるように響いていった。

ちょうど夕食時の食堂はにぎやかに雑音で満ちていた。インド人の学生のグループの話し声が一際大きく聞こえていた。僕たちは窓際に席を見つけて軽めの夕食をとった。彼女はベジタブルスープと小さなパン、僕はチキンビリヤニ。窓から漏れた光が黒い海面をかすかに照らしている。ここから月は見えない。彼女は珍しく最後まで食べた。まるで拭き取る様に、ボウルの底に残ったスープをパンで拭って、その一かけらを長い間咀嚼していた。ワインは飲まなかった。

僕たちにとって、夜はいつも長く穏やかに過ぎて行った。タンカーの中には映画や音楽やスポーツを楽しめる場所がいくつもあったけれど、そういった場所に顔を出すのは稀だった。僕も彼女も、お互いの沈黙を分け合うことが何よりも好きだった。それは幸福な場所だった。一人でいるとき、沈黙は僕を取り囲み圧迫するけど、二人の沈黙は僕たちの代わりに静かな会話を交わしていた。僕たちは会話を沈黙にまかせ、肌を寄せ合ってその長い夜を過ごした。明かりを落とせば、この部屋はいつだって夜になることができた。ちょうど、深海のように。


散文(批評随筆小説等) 今夜月明かりに虹を見る Ⅱ Copyright rabbitfighter 2008-08-05 02:06:33
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