休日の午後
よーかん

なにかしようと考えていた。

それでその、
けだるく暑いせいにして、

考えるのをやめたいよなと、
考えたりした。

それでまた、

考えるのをやめるには、
どうすりゃいいかと考えた。

考えるは言葉ですること。

考えるをやめるには
感じるをすればいい。

そう気付いた自分を
カッコイイじゃないかと
自画自賛する。

まずはリラックスだと考え、
アイスコーヒーあおって
タバコに火を点ける。

ペットボトルの
「無糖。さらり、すっきり。」
という文字が目にとまり、

これも、まあ、
洗脳の一種になるんだよな
なんて考えながら、

煙を肺の奥に引き込み
ゆっくりと解放してみる。

自意識過剰な
ぎこちないタバコの煙が
重たく舞い上がり消えていく。

考えるのを止めるんじゃないのかよと自問する。

このアイスコーヒーは冷えていないと
クリアテイストでも、さらりすっきりでもない。

冷やして飲むとさらりすっきりと
思い込むこともできるくらいの調度よいブレンドですよ。

そう親切丁寧に書くべきた。

たばこをもみ消し
気を取り直して

考えるをやめるを
再度実行することにする。

扇風機の位置を変え
ベッドに仰向けになって
目を閉じてみた。

寝心地が悪い。

枕の下の本を抜き取って
テーブルに置き再度目を閉じた。

瀬戸内寂聴さんの「釈迦」であった。

シンクロ二シティーめいた
シンボリックな出来事を
誰かに自慢したいと思い、

後で書けばいいなと
頭の隅っこに繰り返しメモをした。

考えるのを止める。
考えるのを止める。

思い出して繰り返す。

そうです、
考えるは言葉ですることですから、
感じるに意識を移すのです。

そうすればいいんです。

瞑想なんてする誠実さはない。
瞑想なんて成功したためしがない。

感じることに意識を写す。

音を感じてみることにする。

セミがないている。

セミが交尾の相手を求めて身を震わせている。

超音波という言葉が浮かぶ。

波動という言葉が浮かぶ。

オスはなんでこうも悲しい生き物ばかりなんだとか
落ち込みそうになるフリをする自分がいる。

セミの声の向こうに風の音が聞こえる。

風の音ではなく
空を横切るジャンボジェットだと気付く。

遠くに消えてゆく。

もう一本たばこを吸おうか迷う。

寝たばこはいかんと自粛する。

一つ向こうの坂道を下る車の音が聞こえる。

セミの声にまぎれて鳥のさえずりも聞こえる。

静かに唸る扇風機。

マゴをあやす老夫婦の楽しそうな声。

あたり前な音でさえ言葉でしか認識できない
思考の束縛にあきれ返る。

考えるのをやめようと再度決意して
その決意を鼻で笑う。

呪縛がとける。
気持ちが少し楽になる。

考えるをやめるをやめれたのかもしれない。

同じベッドで、
周りに迷惑をかけずに
この世から消える方法ばかり
考えていた日々を、
ずっと昔のことのように眺めてみる。

もう洗濯物も乾いているよなと
意識をはぐらかす。

タバコをもう一本吸うことにする。

寝たばこくらい
いいじゃんかと開き直る。
























自由詩 休日の午後 Copyright よーかん 2008-08-03 17:12:03
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