超伝導
1486 106

 もともとは別個の存在であるはずの人間と呼ばれる生物が、何の前兆も無くあたかも一つの物体であるかのように密接に結び付くことがる。学者の中にはこれを「恋」と名付ける者もいるが、いささか短絡的で限定的であるため、私はこれを仮に「愛」と名付けることにする。
 さて、この「愛」という現象を定義付けしようとすると、実に様々な問題が生じてくる。例えば、「愛」は可変性に富んでおり、一口に「愛」と言っても文化や地域・時代・宗教に応じてその意味は全く異なるため、それを一概にまとめようとするのは非常に難しいことである。(むしろそれは本質からかけ離れた作業であると言えよう)また、エロス・フィリア・アガペーなど様々な名前で呼ばれる「愛」の中から一つを取り上げて考えたとしても、その捉え方や解釈の仕方は個人によって異なるため、必ずしも「愛」というものに神格化されるほどの力があるとは到底考えにくいことである。(むしろそれは信仰にのみ裏打ちされた価値であると言えよう)
 とはいえ「愛」というものがここまで多くの人々を魅了し、生活の必需品として重宝されているのは何らかの魅力があるからに違いない。被験者を集めてアンケートを実施したところ、「愛があれば食事や睡眠をとらなくても生態活動を維持していける」「愛があれば軽度の打ち身・擦り傷から鬱病などの解消にも効果的」など興味深い回答が得られた。中でも私が一番注目したのは、「愛があれば会話・スキンシップなどの直接的・間接的なコミュニケーション方法を取らなくても気持ちを通じ合える」といったものである。
 そもそも気持ち(または心)を定義付けするのもまた「愛」と同様に困難な作業である。これまでに多くの学者が研究を重ねてきたが、挫折し、涙を飲んできた分野である。ただ、気持ちや心といったものが電気信号の一種であると解釈すると、それがなんらかのメカニズムで空気中を伝達し、相手の神経に影響を及ぼすことも十分に考えられることではないだろうか。もちろん心という物質が科学的に立証されていない以上断言することは出来ないが、一つの仮定として考えることは非常に面白いことであると言えよう。
 ここまで長々と「愛」という現象を定義することの難しさを説いてきたが、日常生活の中で「愛」を見つけ出すことは実はそれほど難しくはない。むしろ存在するすべての感情を「愛」と名付けてしまえるほどの多様性と包括性が「愛」の最大の魅力であり、人類の歴史上最大の発明品だと呼ばれる所以でもある。


自由詩 超伝導 Copyright 1486 106 2008-07-25 03:24:52
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