地下室の水死体
ホロウ・シカエルボク



湿気た
非常に湿気た
暗い
地下室の夜に
海底の死体の
くぐもった声が聞こえる
最後に沈んだ船の
偽のいかりに阻まれて
どれだけ腐っても
膨れても
浮上出来ず
深海魚の好奇と
飢えの中で
むやみに白い骨になった


あんた、何が言いたい
ねえ、あんた
話してる言葉がうまく聞こえない
いつまでもそんな場所に
縛られることはないのに
誰もあんたのことなんか知らなかった
誰も
誰もあんたのことなんか知らなかった
死んでから知られてなんになる
死んでから知られてなんになるんだ、魚に食われて
孔だらけになった骸の幻想を抱いて生きることと
どれほどの違いがあるというんだね


地下室で呼吸をするとカビの臭いがする
すえた臭いの中には何かが隠れている
昔、まだまともな仕事をしていたころ
ネズミの屍骸を掴んだことがあった
確かにネズミだったそれは
俺の手の中でさらさらと砂になった
手の中には
あまりにも切ない脊髄が残っただけだったんだ
あいつが骨になる前
こんな臭いがしていた
冷蔵庫の裏で死んでいたネズミ
冷蔵庫の
冷蔵庫の裏で死ぬ
二度と浮上出来ない
深海の底で死ぬ
カビの臭いのする
地下室の簡易ベッドで死ぬ
どれだけの違いがある
どれだけの
どれだけの違いがそこに


昔、俺は
悦楽と呼ばれる類のことはすべて知っていた
ヤクというヤクはすべて
この俺のものだった
女もいた
金に目がくらんだ
見てくれだけの女
穴という穴もすべて
この俺のものだった
吸い込んでぶっ飛んで
薄汚いバーのトイレによろよろと潜り込むとき
日の当たらない世界にだって
天国の扉はあるのだと確信したものさ
たとえそれが
口にするのもおぞましい落書きだらけの
趣味の悪い塗装の剥げた建てつけの悪いドアでもね
何回も俺は空を飛んだ
何回も、何回も何回も
オリンピックのスイマーのように
折れそうな腰を振ってさ
「カミン」って
確かに女は言ったんだ
もう顔も名前も忘れちまった
くだらないメスばっかりだったけど
「カミン」って言ってくれるときはみんな最高だった


海の底で死んだヤツの話は
そんなころ誰かに聞いたんだ
暇をもてあましたバーテンだったか
その日俺は珍しく素面だった
友達が量を間違えて死んじまったばかりだったかなにかで
まだ頬がつやつやしたそのバーテンは
「踊ろう」と歌ってたころのデビットボウイみたいだった
そんな世界には不釣合いな綺麗な男だったな
親戚に船乗りがいて
海で死んだんだって
死体は見つからなかったって
夢の中に出てきて
黙って腐っていくんだって
そう、言ってたな
ああ…言っていた
そういやずいぶん後で噂に聞いたんだけど
あのバーテンはどこかの街で恋人を殺してきたらしいって話だった
もしかしたらもっと別の話を
俺としてみたかったのかもな


欲しいものはみんな持っていた
欲しいものはみんな
ひとつ残らず自分の物にしてきた
だけどどうしてなんだ
そこに何もなかったような気になるのは
綺麗なものじゃなかったけれど
あれは情熱に違いなかったぜ
湿気た非常に湿気た、暗い、地下室の夜
肺で古いモーターが
鉄のカバーにぶつかりながら回ってるみたいな音がする
欲望に蝕まれた
喰らい尽くされた俺の身体
呼吸をするとカビの臭いがする
冷蔵庫の裏で死んでいたネズミの臭い
馬鹿だったけど優しくしてくれた欲まみれの女たち
愛してる、感謝してる、彼女らに神のご加護がありますように、いまさらだけど
いまさらながら


天使か悪魔か
どっちが来るのか知らないけれど
鼻をつまんで来いよ、ここに来るときは…



わかったよ、臭いで終わるんだ








人間ってヤツは




自由詩 地下室の水死体 Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-07-22 00:10:06
notebook Home