靴墨の詩
かいぶつ

  1  詩人の恋


詩人には愛する女性がいた
詩人は二回目のデートで
その美しい女性に告白をした
彼女の答えはこうだった

  臭いセリフ吐かないで。

落胆している詩人はその日から念入りに
歯を磨くようになった
一日に約四五回
一週間で消費した歯ブラシは四本
歯磨き粉は七本 歯は一本だった

詩人は次のデートで彼女に再度、告白をした
彼女の返事はこうだった

  それよりあなた言葉を磨いたら?

白い歯も爽やかな息も彼女には無力だった
頭を抱えた詩人はその日から念入りに
靴を磨くようになった
詩人は一足のオンボロ靴しかもっていなかったが
せっせせっせと額に汗を浮かべ
仕事も休んで靴を磨いた

詩人は次のデートで手も顔も
靴墨だらけにしながら
花束を抱え、彼女に告白した
彼女はこう言いはなった

  金にならない物書きになんて興味はないの。

詩人はその日から安い石鹸を買い念入りに
体を隅々まで磨いた
そして夜毎、街角に立っては
物好きあいてに体を売った

詩人は次のデートで結婚指輪を渡そうと心に決めていた
しかし詩人の前に彼女は二度と現れなかった


  2  靴墨の詩


詩人はその日から、しがない靴磨きとなった
酔客あいてに愛想ふりまき、彼の過去を知るものには
容赦なく卑猥な言葉を浴びせられた
それでも詩人は靴磨きをやめなかった
詩人はそれしか稼ぐ方法を知らなかったからだ

詩人は恋愛も財産もとっくに諦めていたが
詩を書くことだけはどうしても諦めきれなかった
靴磨きをする彼の傍らにはいつも
手書きの詩集が数冊だけ売られていた

だが詩集を求めるものなどひとりもいなかった
詩人はいつのまにか老人になっていた

夜が明け、客足も途絶えたころ
腹を空かせた詩人は
なけなしの金をにぎりしめ店をたたんでいた
すると詩人のもとへ見なれぬ客が訪れた
それはひとりの少女だった

  悪いな、おじょうちゃん
  もう、店じまいなんだ。

そう言うと少女は首を横にふり
詩人の足元に積まれた詩集を指さした

  これのことかい?

いたいけな少女は小さく頷くと
詩人の鞄の上に小銭を置き
詩集を大事そうに抱えては
嬉しそうに微笑んだ

詩人は今すぐにでも少女を抱きしめたかったが
それは許しがたい罪な行為だと自分を戒めた
その時ほど自分の薄汚れた姿を恥じ
悔やんだことはなかった

詩人の生涯で売れた詩集は
少女が手にしたその一冊だけだった
残りのほとんどは盗まれ
最後の一冊は失くしてしまった

詩人は天涯孤独のままこの世を去った
名も
言葉も
遺さず
ただひとつ遺したものは
使い古しの靴墨だけだった

それから何年の月日が経ったのだろう
小高い丘の上、心地よい風が吹いている
遠くからは汽笛の音が聞こえ
空は青く澄み渡っている
そこへゆっくりと歩いてくる
ひとりの若くて美しい女性

その手には一冊の詩集が
大事そうに抱えられている


自由詩 靴墨の詩 Copyright かいぶつ 2008-07-09 04:52:07
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