詩の足首を掴んで
doon
ここに今、一つの時間という概念が存在する
過去に行くためにまずは言葉に変換する
するとどうだろう
言葉は半自由を得る
次に
未来へ行くために空想のエキスを啜る
するとどうだろう
幾つかの夢は現実になる
時間は最初から二つの道を含んでいる空間の上位交換とならないか?
一次元以上 一次元未満
すると詩という物の姿がありありと色を帯び始める
物理的な流動性を持った現実的衝動
それに続く
一人称的に固定な空想的思考
この間を縫い合わす糸が紡いだ後
過去と未来にいける姿が詩の本質ではないだろうか