「少年と星座盤」 (物語・・・短編)
ベンジャミン
その少年は、真昼の公園の真ん中で、手にした星座盤をくるくる回しながら、
「あれは確か、かに座の一部だから近寄ったら大きなはさみではさまれてしまうな」とか、「あれは確か、さそり座のしっぽのあたりだからきっと一撃でおしまいになってしまうだろう」などと呟いていました。
僕は、こんな真昼に星なんて見えるはずもないだろうにと不思議そうに眺めていたのですが、少年は「きっ」と空を見上げると、何かを確信したように歩き始めたので、僕はそのあとを気づかれないように追いかけてゆくことにしました。
すると少年は、やはり星座盤をくるくる回しながら、それと街の道路を見比べるようにして、ときおり「うんうん」とうなずいてみたりしながら細い路地の中に吸い込まれてゆきました。僕はそれを見失わないように、少し急ぎ足でついていったのですが、それを知っていたかのように、少年は曲がり角の奥まったところでこちらを「じっ」と見つめ、見つめるだけにとどめて小さな商店の中に入ってしまいました。
僕は、これはいったい何かの悪戯のたぐいかと不安にもなったのですが、少年はその小さな商店から袋いっぱいのお菓子を詰め込んで出てきたので、僕はいてもたってもいられずに、
「やぁ、君はその星座盤が読めるのかい?」と、たずねてみました。すると少年は、「ふっ」と笑って何も言わないまま歩き出してしまったので、僕はいっそう気になって、
「やぁ、君はそのお菓子を持って何処かにお出かけかい?」と、これはちょっといきなりすぎて失礼かとも思ったのですが、少年は、
「日が落ちればわかることですよ。あなたにもね。」と、子供らしくない雰囲気で返事をしたので、僕はむきになって、
「夜に出歩くのは危険じゃないかい?」と、少年を説き伏せるように言ったのですが、少年は、
「危険なのは道を知らないからでしょう。ごらんなさい、もうじき日が落ちて、この空いっぱいが何のへだたりもない道となるのです。点在する星々は空間座標として道しるべとなります。ここいらでは交通事故も怪しげな人も心配でしょうが、そこではそんな心配もいらないのです。」と、もっともらしく言い返してきました。
僕は、そういうことを言い合うつもりはないのだけどなぁと思ったのですが、それは口にしないことにしました。なぜなら少年の視線はずっと空のほうを向いていたので、何を言っても無駄なような気がしたからです。ですから僕は、
「あぁ、それなら朝にはきちっと戻って来るんだよ。君は心配でなくとも、君を心配する人はいるものだからね。」と言ったのですが、少年はやはり「ふっ」と笑って、急に駆けだしたかと思うと、両手をいっぱいに広げて大きく息を吸い込むようにようにしながら、その息を吐き出すのと同じような調子で両手をすっと羽ばたかせると、不思議なことに、あっというまに隣のビルの三階あたりまで浮き上がって、僕を見下ろしていました。そして、
「道を知る者は、その道を信じて進むものです。」と言い残すと、さーっと飛んでいってしまいました。
僕はもう、きつねやらたぬきなどにばかされたような心地で、ふらふらと家に帰ったのですが、その夜はたいそうきれいな三日月の晩で、よーく見るとその三日月の端っこあたりに、あの少年が一休みしているような気がしてなりませんでした。
僕は、あのときの少年と同じように、両手をいっぱいに広げて大きく息を吸い込んで、そしてその息を吐くのと同時に両手をばたつかせたのですが、あの少年のようには飛べませんでした。けれど、その夜に見た夢の中で、僕は少年と一緒に星座盤を手にしながら、あの大空を気持ち良さそうに飛んでいました。
自由とはそういうものかもしれないなと思いながら、朝、目が覚めても、僕は見えるはずもない星座の座標点を心の中に浮かべていました。
この文書は以下の文書グループに登録されています。
散文集