創書日和【神】 川の子供の神様
大村 浩一

その川の子供の神様が
いつからそこに居たのかは
神様自身にも分かりません
気づいた時にはもうそこに居て
そのほかの子供の神様や
村の子供たちと楽しく遊んで暮していました
村の子供たちが夕方に疲れて家に帰り
今日のことを話そうとすると
いつも誰も知らない一人のことが思い出され
皆 不思議がりました
そのことはいつか言い伝えとなり
年寄りの口から子供たちへと
代を重ねながら教えられていきました


川の子供の神様は けれども
時々自分でも分からない力で
暴れたり乾いて死にかけたりしました
時々我知らぬうちに村の子供の一人を
自分の住む淵に引き込んだりもしました
子供の神様は我に返った時 いつもひどく悲しみましたが
その後でいつも 落ちた子供がいつの間にか
神様自身になっているのに
気づくのでした
村の大人たちはそんな子供の神様のことを
生き神様のすることだから と
敬い恐れながらも
時には生贄まで捧げて
許してきました


長い年月が流れて
大人たちは自分の住み処や姿、食べ物を
欲しいままに得られるやり方を
だんだん見つけていきました
その度に人の数は増え
その度に子供たちは飢え
(こっそり貯め込んでいる奴も居たのですが)
その子供たちが飢えないようにと
また新しい、時に小ずるいやり方を考えて
(あるいはそういう奴に騙されて)
ある頃からそうしたことは止めどなくなり
とうとう子供の神様の分を
取り上げてしまおう、という事になりました


その大人たちは水の源を堰止め
川の両岸を石で固め
少しばかりの精製物を作るために
沢山の毒汁を川に捨てました
魚の神様は馬鹿のふりをして
適当にやりすごそうとしましたが
おかげで魚たちは身体に毒を溜め込みました
その魚を食べた身のこなしの軽い鳥や猫たちは
ひとたまりもありません
当然、同じ魚を食べていた
村の子供たちにも毒は害を及ぼしはじめました


川の子供の神様はとても驚いて
大人たちに知らせようと
鳥の神様と猫の神様に相談しました
二人の神様は沢山の鳥と猫たちを
生贄のメッセンジャーとして送り出しましたが
大人たちは目をそむけ毒汁を流し続け
(そうしたほうが当座は儲かるから)
川で遊ぶ子供たちばかりか
その親たちもおかしくなりはじめました


川の子供の神様は自ら病み弱りながらも
いつかは大人たちが自分の願いを聞き届けて
毒汁を流すのを止めてくれると信じて祈り続けましたが
大人たちは止めてはくれません
病気の子供の親たちに毒汁の事がばれそうになると
その大人たちは排水口を上流へ隠したりしました
川は海へと注ぐので結果は変わりません
大人は自分の欲望を果たすまでは
決して自分のやりたい事を止めない、という事が
子供だった神様には
分からなかったのです


ねじくれた赤子が産まれるようになり
大人たち同士が争うようになって
大人たちの工場はようやく毒汁を流すのを止めましたが
病気が発覚してから何年も過ぎていました
ねじくれた子供たちはその後も痛がりのたうち続け
カンに入れて埋めた魚の毒はいつ漏れ出すかも分からない

川はいまも流れていますが
小さな子供の神様の意識は消え去って
勝手に汚泥を繁殖させる肉体だけが残りました
地球が腐り始めたのは
それから間もなくの事でした


  ※ ちゃーさんの『川の物語』(T-THEATER第0回公演)から
    着想を得ています

2008/4/30
大村 浩一


自由詩 創書日和【神】 川の子供の神様 Copyright 大村 浩一 2008-04-30 22:58:16
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