井戸の神様
寅午

ぼくの家の庭には古い井戸がある。むかしは豊かな水が湧き出し、たまには幽霊というオツなものも出たらしいけど、いまではさっぱり。水も出ない。そんな井戸がなぜ残っているのかというと、曾曾おばあちゃんのありがたいお言葉のせい。
 「あの井戸には神様がすんどる。たとへ、使われんとも、埋め戻してはならんぞ。
という言葉を子々孫々守ってきたせいなのさ。でも、そのおかげでぼくたち家族は火災の魔手から逃れられたんだ。
 
冬の寒い夜、ぼくは「 火事だ。」という叫び声で目覚めた。どこかで、バチバチと木の爆ぜる音が聞こえた。火は母屋の隣の牛小屋から出ていた。お父さんは泣き叫ぶ牛を小屋から追い出そうと必死だった。牛を外に出し終えたときには、火は小屋の天井にまで這い上がっていた。両手にバケツを持ったお母さんが駆けもどってきた。
 「お父さん、水が出ない、
お父さんが駆けていった。お父さんは落胆してもどってきた。寒さで水道が凍ってしまったんだ。冬の時期、このあたりではよくあることだった。みんな呆然と炎のあがる小屋を見つめた。
でも、そのときおばあちゃんが言ったんだ。
 「友則、水ならあるぞ。井戸じゃ、井戸に水がある。
このとき、みんな思った。おばあちゃんが火事のショックでボケてしまった、と。
でも、違ったんだ。水はあったんだ。ちゃんと井戸のなかに湧いていたのさ。
駆けつけてくれた近所の人たちと井戸と小屋の間をバケツリレーをして、火は大事になる前に消すことができた。牛小屋は半分燃えてしまったが、母屋は壁を少し焦がしただけで済んだ。すべては井戸水のおかげさ。

でも、なぜおばあちゃんは井戸に水があることがわかったんだろ? 後で、おばあちゃんに聞くと、
 「あたしゃ、毎日井戸の神様にお祈りをしとるけん。火事の前の日に水が湧いとるのを見とったと。 
おばあちゃんは笑いながら答えた。

火事のあと、毎日おばあちゃんは井戸にお神酒をあげるようになった。真夜中になると、井戸のほうから聞こえるんだ。酔っ払った神様が、ほろ酔い気分で歌を歌ってる声がね。今日は夜遅くまで聞こえる。きっと、お神酒の量が多かったんだと思う。でも、それで誰も文句は言わない。お父さんは、自分の飲むお酒の量が減るので、不満かもしれないが、文句は言えないのさ。なぜって、あの火事はお父さんのタバコの火の不始末が原因なのだから。
でも、あの火事のおかげで、ぼくたち家族は以前にまして、強い絆で結ばれたんだ。ぼくとお姉さんはよく喧嘩をするけど、そんなことは問題外。とっても、素敵な家族なんだ。
リーダーは、もちろんぼくのおばあちゃんさ。




自由詩 井戸の神様 Copyright 寅午 2008-04-28 21:01:41
notebook Home