オーバーイージー
木屋 亞万
彼女はまだ温かい
フランスパンを
冷えた腕に抱えながら
川沿いの坂道を
一気に駆け上がる
街路樹は春に芽吹き
風は冬のまま
もうすぐ朝が来る
空は濃紺から薄い青へ
雲が暗く影を残す
髪を流れる黒く鈍い光
少しずつドアが開く
フランスパンが覗く
後ろで束ねた黒髪に
グリーンのカーディガン
困ったような目で笑う
パン屋が混んでいたの
珍しいでしょと口が笑う
キッチンへ消えていく
後ろ姿は暖簾の向こう
ブルージーンズが歩く
パンを三等分した後
切り込みを入れて
レタスにトマト
薄く切ったチーズ
挟み込んでいく指先
赤く凍えている指
手を取って温めようと
したら起きてくる息子
日曜だけは早起きらしい
彼女は缶詰を開けて
コーンスープを作り出す
僕は目玉焼きを焼く
油を引いたフライパンに
ベーコンを3枚敷いて
卵を3つ割り落とす
コショウをかけて
水を入れて蓋をする
三つ目が見つめる
サニーサイドアップ
日曜はいつもブランチで
ゆっくり話しながら
優雅な食事をする
これで豪華なんだから
高が知れてると笑う彼女
スープの鍋を混ぜている
息子は牛乳を入れている
僕は絶妙なタイミングで
フライパンの蓋を取る
はるのうみが見たいと
チビの息子が言うのなら
僕らはそれに従うのみ
今日は海へ行こう
彼女は紅茶を3つ
マグカップに入れて
残りを空色の水筒に注ぐ
今日は曇りらしいな
朝は晴れていたのにね
たいようはさっきやいて3人で食べちゃったもん
チビを肩車して
彼女の手をしっかり握り
僕からドアを開く
それは終わりのドア
開く瞼は午後の2時
夢から覚めた昼下がり
カーテンを開けると
外には買い物帰りらしき
女性が一人バッグから
フランスパンを出して
川沿いを歩くのが見える
フライパンの蓋みたいに
空は曇っている
僕は現実のドアを
絶妙なタイミングで開け
彼女に挨拶をする
まだ風が冷たいですねと
柔らかく話し掛ける
もうすぐ春が来る