さくらのくに
雨傘
ざくり、ざくり、という音で目が醒めた。
白い壁紙が窓から入る柔らかな光を映している。
わたしは朝一番の仕事を思いだし、慌てて起き上がった。
枕元には、寝る前に見なおしていた写真が散らばっている。
廃工場の壁を這うヒビ、災害の残したヒビ…。
ここ数年、わたしは建物に入ったヒビばかりを写していた。
写真をまたぎ、カメラを手に取ると、その足で勝手口のドアを開けた。
彼の奇行を見物していた野良猫が、驚いて走り去って行った。
塀で囲まれた東向きの庭は日差しが溢れていた。
彼は物干し竿の下で、穴を掘っている。
細長い体を屈め 砂利の混じる硬い土に スコップを突き刺す。
わたしはレンズを向けた。朝のパフォーマンスは今日で1週間目になる。
個展会場で5年ぶりに再会したのが、この役目を引き受けるきっかけだった。
彼は展示された作品を見つめ、映っているヒビを丁寧に指でなぞった。
美大を卒業してから5年、わたしたちはあの地震の傷を埋める作業を、
別々の場所でしていたことを知ったのだった。
わたしは彼の横にしゃがんで、穴の底をレンズ越しに覗いた。
スコップの地面を齧る音が止まり、荒い息の音が頭上から聞こえた。
彼の草臥れたスニーカーとわたしのサンダルが並んでいた。
「この穴どうするの?」少しためらいながら、なるたけ自然に尋ねた。
「中で寝ころんだら土をかぶせてくれる?」彼は笑いながら答えた。
その声をかき消すように、強い春風が吹き、半開きのドアが勢い良く閉まった。
どこかから運ばれてきた数枚の花びらが、剥き出しの土にはらはらと落ちた。