「 手眼。 」
PULL.







 使わなくなった手をひとつひとつ外し、引き出しまで引きずりしまい込む。十本目の手は十段目に、五本目の手は五段目に、解りやすいようにしまい込む。手はどれも握り締められていて手のうちは見えないのでそれが何本目なのか外からは解りづらく、またいらない手は想う以上にたくさんあり、その上どれも大きさがまちまちなので、これがなかなかに手間が掛かる。ようようすべてをしまい終わり、最後の引き出しを閉めようとするとその、手が、握り締めていた手をやわらかく開き、こちらを見た。
 きつく手を閉じて見ないようにして、引き出しをかたく閉める、開いた手が這い出してまた戻ってこないように、きつくかたく、閉める閉じる。


 わたしの手には眼がない。だからわたしは手を開き指を伸ばし、こうやって這いずってゆくしかない。伸ばした指を懸命に縮め、ずるずるとゆく、やがて要領を覚え、指を支えにして立つ、五つの指を交互に動かし歩き出すが、それぞれの指はてんでばらばらに動き指並みが揃わない、薬指が中指に向けて曲がっているのでことあるごとに絡まり、指躓く、辺りはどこまでもぶよぶよとしているので指躓いても一向に痛くはないが、どこにも壁がない、歩き出しても壁がないのが気に掛かりまた薬指が絡まり、指躓く、やはりぶよぶよとしていて壁は、どこにもない。


 階段を昇り疲れ踊り場で休んでいると、手が、ひとりでに動き出した。手は確固たる指取りで階段に指を掛け、一段一段ずつ、昇ってゆく。疲れているので手にあらがおうとするが手の指取りはとても力強く、ずるずると引きずられ、昇ってゆく。
 引きずられてゆくうちに階段の窪みや角に擦られ削られ段々と、丸みを帯びてきた。丸みははじめつるりとした皺のないものだったがしばらくするとそこに、皺ができ、皺は五つに分かれた。指取りはさらに勢いを増しずんずんと音を立てて階段を駈け昇り、皺はさらに深く刻み込まれてゆく。


 手には触れる、感触がある、感触だけがわたしの眼だ。なめらかなものはなめらかに心が、尖ったものは皮膚だけでなく心までが痛く、感じるのだった。わたしの手は眼であり心だった。やさしい感触ものに触れているとわたしは心までやさしくなった。だが久しくわたしは、そのような感触のものに触れていない、あるのはぶよぶよとした、これだけだ。ここにいると、心までがこのように感じられる、ぶよぶよとだらしなく歪み膿んだ心、それがわたしだ。わたしの心は触れるとぶよぶよと歪み、きたならしい汁を出す、汁はわたしの手を犯しわたしはかぶれ、わたしの心はさらにぶよぶよと歪み腫れ上がり、膿んでゆく。わたしの眼はもう何にも触れられない触れたくない。


 屋上に出ると、空には空も太陽も雲もなく、手が、波打っていた。一面に広がる無数の手は何をするでもなく虚ろに開き、波打っていた。
 強い力で引かれ下を向くと、手が、屋上の地面を掴み、根を張っていた。指はみるみる地面に食い込み、食い込んでゆくごとに強く下に引かれ、指が、地面の中を伸びてゆく。不思議なものでそうなるともう生えているような、もとからそこに根付いて生えていたような気にもなり、日の光が欲しくて見上げると、そこにはやはり太陽はなく、手が、波打っているのだった。眺めているうちに手は段々と近くなり、見えているものすべてを手が覆い尽くし、手が、視界になった。
 手に向かって伸びているのだろうか、それとも手の方がこちらに近づいてきているのだろうか、そんなこともうすぼんやりと考え、ただひたすら下に向かって伸びていった。


 ようやく鍵穴に辿り着き指を入れる。鍵穴は、薬指にぴったりで指を捻ると、五つに裂けて開いた。開いた向こうでは眼が待っていてこちらを見ていた、見ていた、見ていた、眼が、あまりにぎろぎろと大きくこちらを見るものでわたしは不安になり、手で、眼を鷲掴みにした。手の中の眼はしばらくぐるぐると眼を回し暴れたが、やがて大人しくなり、ぱちんっと音を立てて弾けた。開くと眼は跡形もなく、手が、こちらを見上げていた。












           了。



自由詩 「 手眼。 」 Copyright PULL. 2008-04-17 10:36:16
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