此方の景色
因子
今私の頭の上には呆けたような空がある。
長い長い長い年月の間に己がなにものであったかをすっかり置いてきてしまったような様である。
誰もいない公園のベンチに横になる。少し躯をぎゅうと伸ばしてみる。臀部の上辺りに力を入れると背骨の真ん中くらいのところでばきんと音がした。そのばきんの後に続く静寂。
静寂はいつも脳を忙しくさせる。私はまず誰もいない公園のベンチに横になっているという自分をゆっくりと時間をかけて認識した。さて。
怖ろしい学校からもつまらない親からも忌ま忌ましいくらいに馴染んだ土地からも逃げ出してたどり着くところなどないのだった。自分はどこまでいっても自分でしかなくて逃れる術など存在しないらしかった。人間の細胞は目まぐるしく入れ代わっているというが、もう何年もずっとそこに居座っているような分厚く罅割れた指の皮を見ていると、それも誰かの嘘のように思われるのだった。
私はサイズの合っているんだかいないんだかわからないコートの襟を立てて掻き合わせる。私が中学生の時からこいつはずっと中途半端な大きさで不器用に私を包む。
この人生のどこかで私は勘違いをしたのだと思う。それがどの時点なのかは定かでない。中学二年か高校一年か、母親の腹から生まれてきたときからか、それとも今この一瞬一瞬を勘違いし続けているのか。
私は小説を書いている。書いて生計をたてていることになっている。実際は世間的に処女作と呼ばれるものが出版されたのがもう一年前のこと。作家と無職の違いは未だによくわからない。作家と呼ばれない時私は正しく無職である。
なにかで作家と呼ばれることがあってもそこには大抵侮蔑の色が隠れていたりする。私のように本物を生み出すことのできない小説書きというのは無職よりよほどたちが悪いのであって、それは侮蔑されてしかるべきなのだ。矢鱈と小難しい漢字や安っぽい片仮名の羅列で構成された文章は今自分で読み返してみても頭が痛くなるほど偽物臭い。登場人物の喋り方はまるで氾濫するジャパニメーションの模倣だ。だがあの編集者はそれでいいと言った。彼奴もあんなニコニコと表情を崩しながら内心私を嗤っていたに違いない。
教室からエスケープする少女。日常からエスケープする少女。現実からエスケープする少女。思えば私が戯れに書き続けてきた幾つもの文章はすべて与えられた居場所から逃げ出す子供の話ばかりで、閉塞感と負の方向へ向かう力から生じたものたちの塊だった。編集者の目に留まった小説はその中のひとつだった。それらはそもそも子供の私が狭い教室の中で夢想した幼いゆめだった。そんな遊びの筈の妄想はいつだって、主人公がひとに見つかって捕まったり、誰にも見つからず野垂れ死んだり、野犬に喰われたり人に殺されたりして終了した。どこへも行けないことを、私は私から離脱出来ないことを、きっと私は知っていたのだ。最初から。
そして今、上京し望み通り脱出に成功した私は、前向きにも後ろ向きにもなれない私は、やっぱり、どこへも行けないでいる。
***
高校二年生のとき、担任の教師に進路はどうするのかと訊かれて東京の大学に行きたいと言った。何故、と更に質問されて私は俯いて自分の発言の理由をさがした。殆ど勝手に口から飛び出したその言葉に理由があるとするならば、それは当時学校の美術室の隅に隠すように置かれていた「東京」と題を付けられた描きかけの水彩画だった。その東京は赤味があったり青味がかっていたりするさまざまなグレーで彩色されていて、昼食を摂るために誰も居ないそこを訪れる度、新しい色がのっているのを見るのはその時期私にとって習慣化していた。
何故、の答えを口にしないまま、進路指導室を出たその足で美術室に行ってみるとそこには完成した「東京」があった。灰色に色づいて横長の画用紙に切り取られた東京の、その右下に小さくサインがしてあった。東京を描いた彼女の名前を私は唇を動かさずに呟いた。
彼女は隣の組にいて、友達が居ない子だった。隣の組の人間関係など私はまるで知らなかったが、休み時間や放課後、窓の外を覗けば大抵外の石段のところへ小さく腰を掛けている姿があった。次の予鈴まで動かない背中の細いラインは、私、ひとりなんです、と過剰に孤独であることをアピールしていた。それに気づいてから私は毎日窓の下の石段に脚を揃えて座る彼女を確認するようになった。彼女は毎日そこに居た。そうして観察していると、いつもゆっくりとした歩調でやってくる彼女は教室へ戻るときもやはりゆっくりなのだった。何者の干渉も許さないような足取りを私は見詰めた。やはり友達の居ない私の目は、ただただ格好の悪い自分の「ひとり」とは種類の違うそれを彼女のなかにとらえていた。東京の絵は完成後三日と経たずに美術室から消えた。
その年の初雪の日だった。そのとき彼女は白く柔い指の爪に赤いエナメルを丁寧に塗っていてそれは彼女の手にも、彼女の髪にも目にも腕にも肌にもとても似合っていて美しかった。
学校が午前のうちに終わって、下校時刻を過ぎて誰も居ないリノリウムの床の廊下の端、そこの窓の下へ彼女は立っていた。窓の外の白い光と黒髪との対比に私は思わず目を細めた。そこで初めて私は彼女の声を聞いた。彼女は突然背後に立ち竦んでいた私を振り向いて、左手の甲をこちらへ向けて二、三度軽く振ってみせると、ほら、血のいろみたいに綺麗でしょうと言ったのだ。彼女は血液というものを本当に見たことがなかったのだろうと私は思う。血の色みたいに綺麗?血液は実際はとても肉っぽくて汚らしいものだ。笑う彼女を私はほんの少しの失望をもって見つめた。
たった今初めての言葉を交わした相手に、外に出ようと私は提案した。
彼女は美しかった、校則をまるで無視した赤い爪、私がはじめて見たその色、その肌、笑った顔。とても綺麗だと思った。
表へ出ると柔らかそうな雪は既に他の子供たちによって踏み固められたり掘り返されたりしていて、私と彼女は口をきくまでもなく、一緒に積雪の平らに残った部分を探し始めた。歩を進めると足の裏で新雪はぎゅっぎゅっと鳴き声をあげた。彼女に踏まれた雪も同様だった。そうして二人分の足音を聴いていると、寒さにはとうに慣れた筈の頭がくらくらした。
校舎の裏へまわると彼女のいつも腰かけていた石段が、誰にも侵されていない証拠に真っ白になってそこにあった。近くへ来てみるとこの場所は校舎の壁の凹凸やパイプで死角になっていて、思っていたよりも狭いのだった。足元の雪を蹴飛ばして、私より先に彼女が駆け寄った。遅れて一歩踏み出した私はしかしそこで動かなくなった。
ぎゅっ、と雪が鳴いた。私の目は目の前の少女を注視していた。
細い彼女の指が嬉しそうに雪に触れたそのとき、その指は白とはいえなかった。それは黄色人種のきいろな指であった。それからそのきいろな指は冷たさに触れたが為に黒々しい程に赤みを帯びてしまった。
どこか外国の工場で製造されたのであろう赤いエナメルはもはや赤いだけのエナメルだった。きいろい指の先に光る赤いだけのエナメルだった。そこで彼女の絶対的な少女性は静かに失われていった。せめてもの抵抗に、私は結局彼女とそれ以降会話を交わさなかった。
***
次の年私は東京の大学を受験して落ちた。仕方のないことだと私は言った。父も母もそう言った。
合否発表の日、東京は雪だった。東京の雪はべたべたしていてすぐ溶けた。帰り道に積もっていた雪は凍っていて、掬おうとした私の裸の手を拒否した。濡れた指先は変色して赤らんだ。
受験の前に気まぐれで原稿を送った会社から電話が来たのはそれから数カ月後のことだった。
***
そして今私の頭の上には呆けたような青空がある。
ふと、右の掌に感じた感覚に違和感を覚えて私はコートのポケットをまさぐった。いつだったか、そこへ何かを入れたまま忘れていたような気がした。裏布の冷たい肌触りしか存在しないそこで私の右手は暫くの間這い廻った。それからもう片方の手をもう片方のポケットに突っ込んだ。
午後のまるい光が左の頬を濡らした。
今年はこのまま冬になるのだろう。
視界に赤い色がちらついた気がして瞼を閉じた。
そして祈る。何処へも届かないけれど。