もうボクも、いい大人だけれど
よーかん


この駅に引っ越してきたばかり
ボクはまだ四年生で

思い出せないけど
たぶん二学期の途中

クラスが二つしかない
真新しい校舎の学校は

女子大の予定地と団地と貯水池に挟まれた
玩具みたいな建物だった

たぶんボクは
空を走る送電線だとか
田んぼの上を渡る大きな橋だとか

そういう田舎な
見慣れない風景にとまどいながら

真新しい校舎の
磨かなくて光っている
床とか
黒ずんでいない
トイレのタイルとか
落書きが刻まれていない
机とかに

萎縮しながら

見慣れないヒト達の前に立たされて
自己紹介をしたはずだ

まったく思い出せないのはなんでだろう

あんまり思い出したくない
何かがあるのかもしれないな

小学校四年とかの思い出って

なんで晴れた日とか

冷たく澄んだ朝の風景とか
いつまでも光っている夕焼けだとか

そんな景色の中にあるんだろう

この駅は
ボクが少年時代の最後を過ごした町

一度離れて
もどってきた町

ここに戻ってきてしまった

ボクはここをはなれたくない

ここ以外の場所には
くすんだ日本しか見えないから

ここの思い出は
ボクの中でいつも光ってる

この駅も
もう

ホテルと高層マンションとデパートと
銀行とロータリーとコンビニと
ファミレスに囲まれてしまったけれど

ボクの中のこの駅は

街灯一つないけれど
ピカピカに舗装された大きな一本道が走る
空き地ばかりの新興住宅地の先にある

ただの駅

お蕎麦屋と電気やと
八百屋とお肉やと魚しかなかった
小さな町の
みんなが通る場所だから

でも
あえて
言うけれど

なんでこんなにみんな
色んな建物を建てたがるんだろう

古い私鉄で都内に行くと
少しずつ空が見えなくなっていく

窓から見える景色から緑が少なくなっていく

だからって
こんな風に
いつも感傷的に
想いをめぐらせるわけじゃないけれど

ただ、たまに気付く時がある

なんで売るために

大人になるとこんな風に
空が見えない世界を
増やさなくては
暮らしていけない

そんなもんだと
あきらめなきゃいけない

そんな世界で
ボクラは生きなくきゃいけないんだろうって

またボクの町から空き地が消えた

たぶんどこかからか

幸せを創るために
始まったばかりの家族が引っ越してくる

四年生だったボクみたいな
コドモといっしょに

それは素敵なこと
たぶんだけれど
それは
今の日本では
貴重なことなんだ

だって
大人が諦めているのが
日本だから

いいのかな
それで
しょうがないのかな

日本はいつまで
こんな風に
日本に建物を建てつづけるんだろう

日本はいつまで
こんな風に
せっかくの野原を
つぶし続けるんだろう

こんなこと
かっこ悪いね

いい大人が
こんなこと
言って

感傷的にさ
こんなこと言って

独りだけ
わかったフリしてさ














自由詩 もうボクも、いい大人だけれど Copyright よーかん 2008-04-13 21:20:50
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