胎内。
哀詩

母の胎内、それは、それは暗かったことを記憶している。
(そこにまだ君はいない。)


どくん、         どくん、                 と、
深く響き渡る嫌な音が絶え間なくしていた。
はじめはそれでもまだ耐えられたが、
己ができてからは酷いものだった。
それでも音は容赦なしであった。
これは今だから言えることではあるが
おかげで神経が形を成した頃から、頭痛が酷くなった。

そして意識が遠のくのだ・・・。


意識を取り戻したところであの音は止まない。
どくん、 どくん・・・どくん、
いつしかその音は自分の中にも生まれたことに気が付いた。
その頃ようやっと音と己とは別個のものだと知ったのだと思う。
己の中の音は次第に小さくなっていった。
それと共にどんどん体は重くなっていく・・・
意識は変わらず遠くなるばかりなのだ。

意識を取り戻すと、ふいに空間の大きさが気になった。
体の一部で確かめようとしたとき、
一番最初に動かしたのは比較的下の方だった。
動かした、というよりは 動いた、 に近いと思われる。
すると音が早くなるのだ。

どくん、どくんどくどくどくんどくdんおdくどdおk

痛い、苦痛だった。
しかし好奇心とは怖いもので、
体の上部(それが頭と気付いたのはもう少し後なのだが、)、
頭が痛くなると知っていながらも、
確かめざるを得なかった。

衝動。

己には抗えないものがあると知ったのはこの時だったように思う。





しかしある程度すると、
体の下部(今になって思えば正に脚である)を動かす理由は変わってきた。
純粋に狭いのだ。

「蹴る」ことで少し空間が広がることは、
空間を確かめようとしていた頃からの経験で重々承知していた。

ただ体が重かった。
頭が痛かった。
視界なんてものはなかった。

色など知らない。
今で言うなればあれは黒と赤の合いの子のような色、と表すが、
それですら正しくない。
何故ならあれは決して色ではなかったのだから。



少し経つと、一定の周期があることに気付いた。
音は絶えず聞こえていたが
それは上からでもあり、下から、左からでも、右からでもあった。
音はまわっていたのだ。
周期は音の大きさ、そして速さのそれである。
ゆっくりと静かなときや、
早くうるさいときもあった。
そしてそれは一定の間隔を持っていたように思う。
すると意識の遠のく周期も自ずと決まってくるものだった。

怠惰、もしくは惰性。
日々(という概念を知ってはいなかったが)はただの繰り返しで
もはやそれぞれに境界などなかった。
ただ体の中部へ何か生暖かいものが流れてくるときは
己の音が、中が興奮しているのを感じた。

そんな日々を送っていたので気付くのは遅れたが
音はあるときから下のほうでしかしなくなっていた。
そしてこの音が大きいのだ。

頭痛が酷く、困り果てた。
空間はとうに窮屈になっており、
日々は正に苦痛だった。悶絶して
とうとう発狂しそうになったその時だった。
頭上に微かな色を認めた。
音は今までにないほどに大きく、身を裂くようである。



その時決めたのだ。





それからは早かった。
色を認めるとそれをめがけて、全身を動かした。
音は迫り来て、今にも身を貫くかと思われた。
空間は味方だった。

徐々にではあるが、前には色が広がった。




そう、わたしは自由になったのだ。


自由がこれほどに恐ろしいものだとは知らなかった。
自由は酷く渇いていた。
そして、自由とは孤独であった。

母の胎内とは別の意味ではあるが、
わたしは発狂した。
色が、
知らないものが
渇きが
わたしに触れる

生暖かいものが流れるくだは唯一の頼りであったが
それですら断ち切られた。
成す術などない。

それ程にわたしは無知だったのだ。




散文(批評随筆小説等) 胎内。 Copyright 哀詩 2008-04-12 06:09:53
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