理解 解釈 真実 誤解 表現 象徴
相良ゆう

理解することと解釈することは似ているようで違う。
人は自分のことを理解してほしいと望んでいる。
人は他人のことを理解したいと思ったとき、他人について解釈する。
人は解釈することを通じて理解しようとする。

理解することは難しい。
うまく解釈できたつもりでも、
やはり真実からはずれているということは
よくあること。
解釈が理解に至るには長い道程が待ってる。

ところが誰も真実を知らないようなことを
理解するために活躍するのが解釈ということも
しばしばあること。
人の感情はその人にしかわからない真実。
自分以外の人は理解することが出来ないもの。
だから人は解釈する。
言葉を使って。

人は互いを理解しようとする。
でもそれはまず互いを解釈しあうということ。
解釈とはその人について解剖することでもあり、
また自分の中にその人を構築することでもある。
だから人は自分の手術の腕前と
生み出した作品の基(オリジナル)であるその人から
評価を得たいのだ。
私のあなたに対する解釈はあなたの真実を
ちゃんと表現できているかな。
それが知りたいから。

オリジナルには真実が含まれている。否、真実がそこにある。
真実を表現することは物事を的確に解釈するよりも大変なことだ。
けれどそんな表現の中には、時に表現が真実を越えて表現するという

真実を越えて表現されたものは象徴という。
そう鳩は鳩という真実を越えて平和のシンボルとなった。

解釈は真実を正確には表現しないかもしれない。
けれども解釈によってお互いが理解に至る道は開かれている。
納得のいかない誤解ばかりが多いかもしれないけれど、
ただ憤慨するでなく、それも理解の過程なのだと思いたい。


散文(批評随筆小説等) 理解 解釈 真実 誤解 表現 象徴 Copyright 相良ゆう 2008-04-08 15:21:21
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