逆兎
あすくれかおす
投げやりな雨の中でも
朝は朝としての時間を果たしてゆく
ふたつの手足 唇の動きを確かめて
私も私としての時間を果たそう
魔法使いのおばあさんが昨夜私にこう言った
「かつて私は魔法に焦がれ
魔法を信じ
そして それは現実という名前に形を変えた
私は魔法を思い
それから先も思い続けるつもりだったが
やがて
自分の中にある魔法が
どういう訳か気恥ずかしくなり
そのうちに遠ざけて
とうとう唱えることをやめてしまった」
私にはおばあさんの悲しみが少し分かるような気がした
私にはたくさんの心残りがある
タイムサービスの値札が貼られたまま冷蔵庫を動けないエリンギとか
テレビの背面に落としたままのハイテックペンとか
いやいやそんな半可な詠唱ではなくて
私には焦がれるものがあったはず
私が信じ
今も形を変え続けているものが
けれど私もおばあさんのように
何故だか気恥ずかしい心地がしている
たぶん
嘘つきの魔法が恐ろしくて
呟かれた現実が
箱庭で独り立ちしていくことが
怖かったんだ
だけど
だけど二人は昨日出会えたじゃないか
泣きべそをかきたいだけだったのに
月もささくれ立って
微量の炭酸もマイナーコードに感じる夜だったが
杖とルーム・キーを交換して
お互いにふたたび唱え合ったではないか
思いを
時を
在処を
熱を
投げやりな雨の中でも
朝は朝としての時間を果たしてゆく
ふたつの手足 唇の動きを確かめて
私も私としての時間を果たそう
私たちは逆行することのできない兎である