「 かいり。 」
PULL.
一。
かいりが服を抱えて出て行くのを、あたしは黙って、見ている。「それはもともとあたしのお気に入りの服なのよ!。」かいりの鼻先で、そう言ってやりたい気もするけれど、あたしは言わない。そんなことを言えばあたしはかいりに負けてしまう。だから言わない。言ってはいけない。あたしはかいりがテツメンピと呼ぶこの顔で、やつがこの部屋を出て行くのをただ黙って、見ている、見ているしかあたしには、ない。
かいりとあたしは今夜、別れるのだから。
二。
「インポオンナ。」
あの夜かいりはあたしに、そう言った。あたしはかっとなって、かいりに掴みかかり、組み敷いた。頭の中が、からだじゅうが真っ赤にぐるぐるして、眼の前のかいりが、愛おしくて腹立たしくてあたしは、混乱していた。
あたしは言った。
「あなた何を考えているの。何が欲しいの。」
口の中が渇いていた。ざらざらとしたことばがあたしの中を、さらに赤く、した。
三。
「それを言わせたいわけ。言ったらあなた、叶えてくれるの。」
「…。」
「こんなところに住まわせて、食事も服も仕事も、みんなあなたの与えてくれたもの。何も要求せず、何も求めてこない。どうしたいの、訊きたいのはわたしの方よ。欲情しているくせに、わたしとふたりでこの部屋にいるだけで、からだじゅうでわたしに欲情しているくせに。」
「あたしはただ…。」
「だた、ただ何よ。あなたはただわたしを飼っていたかったの、わたしが夫と別れてひとりだから?住むところがないから?。うそつき。触れたいくせに、今すぐこの中に触れて、わたしの中に入ってきてめちゃくちゃにしたいくせに。何もしない。あなたはいつも黙って、ただ見てるだけ。」
「もう…何も言わないで、あたしを混乱させないで…。」
「欲しいんでしょ、わたしが。さあ奪いなさいよ、この指で、いつもひとりであなたがわたしを想いながらしているように、奪ってみなさいよ!わたしだってあなたが欲しいんだから!。」
四。
あたしを見上げるかいりの眼が、赤く、充血している。かいりは泣いていて、あたしも泣いていた。重なったからだから、かいりが伝わってくる。あたしよりも少しあたたかい、かいりの体温。あたしは熱くなって、赤く、なっていた。あたしの中の赤いものは止まらず、ぐるぐると、さらに混乱していた。やがてあたしの中の混乱はあふれだし、かいりの口を、塞いだ。かいりの舌があたしの唇を濡らし、あたしの舌がかいりの中を、濡らした。
五。
結局、あたしたちが交わし合ったのはあの夜だけで、それからはどちらともなく、遠ざかって、いった。満たされて、満たされすぎたものは、もうこぼれるしかない。あの夜あたしたちは満たされて、こぼれて、インポオンナになってしまった。
もうすぐ荷物を運び終えたかいりが、戻ってくる。かいりの手にはこの部屋の鍵があって、それを渡されればかいりとあたしは、終わってしまう。かいりは最後に、何と言うのだろう?。
さようなら?。
それとも、
六。
扉の向こうで、ヒールの音がする。鍵穴が回り、シリンダーの外れる音がする。かいりが入ってくる。あたしはただ黙って、待っている。
「インポオンナ。」
もう一度かいりが、そう言ってくれることを。そしてあたしの中の赤いものが、また赤く満ちて、混乱することを。
了。