売春禁止法について
海野小十郎

売春禁止法について
 もうすぐ喜寿にも手の届くわたしなのだが、青春時代の性の悩みにときおり思いをめぐらす。お殿様でも家来でも、貴婦人でも蓮っ葉乙女でも、せいの悩みは同じである、ある高貴な職についていた婦人の申されるには、わたしは売春婦にでもなっていた方が良かった、自分のいまの職業は窮屈といわれる。
 若いときのわたしの悩みもまったくこの悩みに似ていた。成年になるのが18歳に下げられたのはいいが今の若者が18歳で責任をになえるかどうかは疑わしいのではないか。体や頭脳は成長の早い現代であるが、悟りや良識は責任を担えるほど発達しているとはっきり言える人が誰かいるだろうか。
 凶悪犯や変質者などの増加は低年齢層の劣悪化と繋がっているのに、罰則だけに其の解決を求めても大いに空しい。性欲の問題はもっときめこまやかな接し方をしなければいけないのではないか。私が青春を終えようとしていたころに日本では売春禁止法は成立した。そのころある識者がテレビ会談で、若者のどうにもならない性に対してこの法律は有効であろうかとおっしゃっておられた。私もそう思った。
 売春禁止法成立以来私はそのような場所に出入りすることはなかった。性はもうそんなに私にとって問題ではなかったからだ。
 しかし今売春禁止法施行約半世紀を経た今、これを振り返り果たしてこの法律が大いに効果を発揮したかどうか考えてみるのは良いことだと思う。
 自由を与えるという意味では18歳よりもっと下げるべきである。性交は低年齢層に及んでいる。10歳以下でも可であり、地位や名誉のある人が変質者として検挙されることおびただしく、マスコミを賑わすことになっている。このような状態の解決が何かあるであろうか。現代の犯罪の原因の主たるものは性にある。誰にもこれを取り除くことは不可能であろう。では流れを変えていくより仕方があるまい。
 私の言いたいことをずばり言おう、売春防止法の内容を変えたほうがいい。トルコやホスト・クラブやこれに類するものを政府が公に認め、管理し、これにまつわる暗い事件や印象を払底し、アダムとイブ以来の性に対する罪悪感を取り除くよう政府それは日本のみならず各国政府も協力されればよい。


散文(批評随筆小説等) 売春禁止法について Copyright 海野小十郎 2008-03-27 12:32:27
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