『横町探訪』
しめじ

 昼過ぎに雨が上がったので酒を買いに外に出た。羊雲が東の空にぽやぽや浮かんでいる。お日さまも顔をだしていて湿った空気が暖かく感じられた。酒屋にて上酒を購入。気分がよいのでそのまま散歩をすることにした。ポメラニアンがぼむぼむ歩いていたので後をつけて角を曲がる。

 大通りを歩くよりも横町や脇道が好みである。何と言うか道自体が油断しているような感じがするからだ。東京の大通りとなると区画もきれいで、きらびやかな看板がそこかしこにある。車がびゃーっと走っていて歩く人々も心無しか足早だ。

 一方一本路地へ入った横町はというと別世界である。犬畜生が道路の真中を闊歩していたり、お爺さんが杖をついて休んでいたり、庭の梅木にウグイスが止まっていたりと、のどかな風情。一通の標識多数のため車も侵入して来ない。小学生が自転車で走り回っている程度のものでのんびりしている。遠く中央線の走る音が聞こえる。

 萩原朔太郎の『猫町』という短編がある。その中で主人公は散歩中に迷子になり、見知らぬ町に出くわす。その見知らぬ町では何もかもが美しく、魅力的に見えた。家から十五分程度の場所にこんなところがあったとはと主人公は驚く。しばらく町を歩いていると知合いに声をかけられ、そこは家のすぐ側の横町を抜けた先の商店街だったことに気がつく。その瞬間今まで魅力的であった町並みが急に色褪せ、見なれた町に急変する。主人公は三半規管の異常によって方向感覚が狂い、現実をずれた状態で見たから町が美しく見えたと述べる。

 犬について角を曲がったのは迷子になるためだった。三半規管うんぬんはどうあれ、見知らぬ道に出くわすと、胸が高まる。たとえそれが近所であっても、通い慣れた道でも、季節、日付け、時間、天候が変われば全く違う様相を示すから不思議である。

 トタンばりの錆び付いた工場の真ん前で八歳くらいの少年がコマを大事そうに握っている。きれいにひもを巻いたコマを持って少年は辺りをきょろきょろと見回している。きっと回すところを親に見せようと思っているのだろう。

 コインランドリーの前ですれ違った少年は、母親の手を握って前へ前へ走っている。
「僕は夜になるのが待ち遠しい!」
「どうして」
「だって夜になると寝て夢が見られるから」
 母親は少し困ったような顔をして笑っていた。少年は笑って走り出そうとする。

 児童館の前でスカートを履いた少女が三人並んで白い縄を空中に投げていた。両端を結わえて輪っかを作った縄をぽんと空に投げる。投げた少女は輪っかの中に足を射し込もうと足を上げている。おしいおしいなんて言いながら三人は賑やかに輪っかを投げていた。

 暮れかかった太陽が羊雲を淡く朱色に染めている。横町が少し翳りを増した。

 近くに高校の校舎があった。東京の運動場は狭いなと思いながら周りをぐるりと一周する。去年の晩夏に、恋人と歩いた阿佐ヶ谷の雰囲気に似ているなと思った。彼女はもう戻って来ないだろうが、思い出だけは残っていて何かにつけて思い出してしまうのだろう。そう思うと自分がとても女々しいような気がしてため息が漏れる。実際、彼女には今彼氏がいるようだ。警笛の音が鳴る。振り返ると線路が眼下に広がっていた。いつも乗る総武線は夕日を受けて走っている。外から見ると捨てたものではないなと思った。

 しばらく歩くと見知った道にぶつかる。見知ったスーパーに寄りイカと大根と里芋を購入する。

 帰宅後、夕飯をこしらえる。今日は煮物を作ろうと一念発起する。鍋に昆布を入れて出汁をとり、煮汁をこしらえるために酒、みりん、砂糖、生姜、醤油を鍋に入れる。醤油は濃い口であった。田舎は西だから昔は薄口を使っていたのだが、いつか恋人が「薄口醤油じゃ本領発揮できない」と言ったので、それから濃い口に変えたのだ。しかし醤油を変えてから恋人は家に来ることはなかった。

 煮物はとてもうまく出来上がった。大根にも味が凍みていて美味しかった。でも家の味は薄口だったなあなどと思いながらはふはふと里芋を頬ばる。スピーカーから枝雀が「上酒を上燗で」と笑いながら言っているので買ってきた酒を燗してこれを煽る。一人酒盛り。くうううなんて一人で言って、笑って、酒飲んで、明日も晴れて。


散文(批評随筆小説等) 『横町探訪』 Copyright しめじ 2008-03-24 22:42:25
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